短説〈西山正義作品〉

2015年1月14日 (水)

短説「三島由紀夫生誕九十年の日に」西山正義

  三島由紀夫生誕九十年の日に

            
西山 正義

 平成二十七年一月十四日。すなわち本日は、
三島由紀夫生誕九十年の日である。大正十四
年、西暦でいえば一九二五年の一月十四日生
まれ。例の自決は昭和四十五年十一月二十五
日。四十五歳であった。ということは、生ま
れてから、その死を挟んで、年月はちょうど
折り返してしまったわけだ。死んだのが四十
五。そして、あのような死から四十五年!
 十一月二十五日という日を、僕は今でも一
番大事に思っている。もう一つ、僕が個人的
に「創作記念日」と名付けている九月二十日
が、僕の第一の師である小川和佑先生の命日
になった。それからジョン・レノンの日。
 はじめて憂國忌に行ったのは昭和五十五年
だった。いわゆる三島事件からちょうど十年
目。当時は、すでに十年も前の歴史的な出来
事のように思っていたが、今にして思えば、
わずか十年前のことだったのだ。事件(いや、
やはり「義挙」と言おう)から四十五年。あ
の「十年祭」からでも三十五年もの年月が経
っているのだった。
 昭和三十三年発行の『三島由紀夫選集8』
で短篇「遠乘會」を読んだ。十五歳の時から
もう何度読んだことか。大学の卒業論文でも
扱った。今更新しい発見もないと思っていた
ら、一昨年の秋にソフトボールの大会で行っ
た会場が、まさに舞台になっている江戸川の
市川橋であったことに今気づいた。昭和二十
五年四月、三島二十五歳も参加したパレスク
ラブの遠乗会の写真が選集の口絵に載ってい
る。もちろん風景は激変しているが、同じ場
所に違いない。僕らのチームは都大会で地区
代表として悲願の初優勝を成し遂げたのだ。
 しかし、そんなことをしているはずだった
のか。今日という日、僕がすべきことは?
 最低限、書くことは書いたが……。

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2014年9月10日 (水)

短説「娘の演奏会」西山正義

   娘の演奏会

            
西山 正義

 娘が、まわりまわって、どういう因果か、
卒論にジャン・コクトーをやることになった。
そして、今度は、そうなれば当然の結果とし
て、レイモン・ラディゲときた。大学近くの
古本屋で全集を見つけたが、高くて買えなか
った。そこで、今月来たる誕生日のプレゼン
トにどう?となったが、そこは西山家なので
ある。私の書棚の、それも特別欄に陳列して
ある秘蔵の一巻本翻訳全集と評伝本を取り出
してきて、娘に渡した。親は得意がっている
が、娘にしたら、くやしいらしい。
 昨夜、その娘が所属する大学のサークルの
演奏会に行ってきた。「管」はないのだが、
室内管弦楽団の年に一度の定期演奏会。音楽
大学ではないので、賛助メンバー以外はど素
人の集団である。だが、小ホールとはいえ、
ある区の文化センターの立派な施設を借りて
の演奏、それなりに様になっていて、親の贔
屓目にしろ、いい演奏会になって良かった。
 娘は中学・高校の六年間、箏曲部に入って
いた。「箏」であって、「琴」ではない。そ
れも唐突のように思えたが、同じ弦楽器とは
いっても、大学では一転して西洋の楽器であ
るヴィオラに挑戦することになった。
 しかも、なぜか二年生の時から「団長」を
務めることになった。プログラムにも挨拶文
を載せている。今回の演奏会が、実質的には
引退の最後のコンサートになる。
 中学・高校の六年間も、毎年、学内の文化
祭といろいろな学校が集まる箏曲部連盟の連
合演奏会を聴きに行った。大学でも学園祭の
ブース実演とこの定期演奏会が三回目。
 息子の野球(小学校の健全育成ソフトボー
ルに始まり、少年野球、中学の軟式、高校の
硬式いわゆる高校野球)も終わり、とうとう
子供の行事も終わりを告げる時が来たようだ。

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2014年9月 8日 (月)

短説「平成二十四年の逝く夏に」西山正義

   平成二十四年の逝く夏に

            
西山 正義

 五月十九日に短説「〝最後〟の運動会」を
書いてから、ちょうど三ヶ月後の八月十九日
までは、息子の高校野球一色だった。
 妻と二人、本人以上に騒いでしまった。息
子の学校(私の母校でもある)が甲子園に行
ったわけではない。が、神宮には行った!
 そのことについてちゃんと書いておきたい
と思っていた。でもそれは、私なら、やはり
短説にすべきだろう。娘のフランス留学のそ
の後についてもしかり。
 しかし、時の経つのが早い。早すぎる。い
まだ猛暑が続いているが、真夏とは異なる秋
の匂いがしてきている。その匂いを嗅ぐだけ
で、鼻にツーンときてしまう。
 夏の終わり、短説同人のあるサイトが消滅
してしまった。知人のブログやホームページ
が更新されているのは楽しみであり、励みで
もあり、一種の安否確認ではないが、同じ時
間を共有して生きているという、その形に残
る証明であると感じている。事情は不明だが、
残念である。もはや短説を書いていなく、ペ
ージを更新することもなくても、個人作品集
のアーカイブとして残しておいてほしかった。
 しかし、それにも〝熱情〟というものが必
要で、かつて短説の会を取り巻いていた熱情
を、今懐かしんで、もう一度と思っても、も
はや気持ちが〝行かない〟のは、かく言う私
にしてもそうなのだ。
 でも、私には、声がまだ聞こえる。かすか
ではあるが、何かを囁く声が。それは古い友
人からのコールだったり、やっぱり文学って
いいなという思いだったりするのだが。
 ブログでも、日記でも、雑記でもいい。や
はり書いておこう。それしかない。
 あっと言う間に流れ去る時に、少しでも楔
を打たねばいけない。

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2014年5月17日 (土)

短説「本を売る」西山正義

   本を売る

            
西山 正義

 文芸同人誌の展示即売会をやるというので、
僕は会を代表して自分たちの雑誌を売りに来
た。久し振りの横浜。潮の香りが懐かしい。
 このイベントは今回で二回目。参加団体が
だいぶ減ってしまった。特に純文学系(この
何々系という言い方は好きではないが)の若
手が主宰する同人誌は、ほとんど僕らが唯一
になってしまった。
 ところで、通路を挟んだテーブルの向こう。
斜め向かいにさっきから気になる女の子がい
る。向こうでもこちらが気になるようで、何
度か目が合う。最近見掛けなくなってしまっ
た昔風の美少女。ストレートの長い髪、端正
な顔立ちに、メガネが良く似合っている。
 しかし、相棒が急に来られなくなってしま
い、僕は持ち場をあまり離れられない。それ
に、会場にはもちろん若い人もたくさんいる
のだが、純文学を書く若手は珍しいらしく、
前回顔見知りになった人たちや、隣合わせた
同人誌の人たちといろいろ話をしていて、彼
女の所へはついに行けなかった。
 ところが、帰りのエレベーターで一緒にな
ったのをきっかけに、お茶でも飲みませんか
ということになって、彼女と今ここにいる。
 彼女の本を買う。個人作品集である。内容
は目録で調べてあった。「私もあなたの買い
たいのですが」「いいよ、あげる」「それじ
ゃあ悪いわ」「いいよけっこう売れたから」
 そんなわけで、僕はさっきから盛んに〈文
学〉の話を彼女にしているのだが、要するに、
「これからランドマークタワーにでも行って
みませんか」ということが言いたいのだ。
「僕も中上健次は好きで」などという台詞で
ナンパする奴がどこにいるだろかと、我れな
がら呆れてしまうが、そんな人種だから貴重
な休日にこんな所に来ているのだろう。


〔発表:平成8(1996)年10月第32回東葛座会/初出:「短説」1996年12月号/再録:「西向の山」upload:2009.12.28/「縦書き文庫」upload:2011.9.9〕
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2012年5月19日 (土)

短説「“最後”の運動会」西山正義

   “最後”の運動会
 
            
西山 正義
 
 子供の運動会に行ってきた。下の子も高校
三年生になった。つまり、息子にとってはお
そらくこれが学校生活最後の運動会だろう。
ということは、私たち夫婦にとって、これが
子供の最後の運動会ということになる。
 上の娘が幼稚園の年少に入り、最初の、そ
れこそ“感動”の運動会があったのは平成七
年である。西暦でいえば一九九五年で、それ
から、三学年違いの二人の子供を通算して十
八年! 運動会も最後になったわけだ。親と
しては、学芸会や文化祭などと並んで最大の
イベントであり、楽しみであった。
 まだ大学が残っているから、親の役目が終
わったわけではないが、来春、息子が高校を
卒業すれば、実質的な“子育て”は終わりと
いうことになる。同時に、私は五十歳を迎え
るのだが、生まれてから、幼稚園、小学校、
中学高校と思い返せば、それは、さすがに長
い時間であったと言わねばならない。
 今日の運動会、このところ雷雨や雹が降っ
たり強風だったり、荒れた天候が続いたが、
見事に晴れた。私が六年通った母校でもある。
今は男女共学になり、校舎はすっかり様変わ
りしたが、全体の雰囲気は変わっていない。
校庭は広くなり、空が高く見えた。
 私が卒業してから三十数年、当然のことな
がら、毎年このように運動会は続けてこられ
たのだ。その子供ひとりひとり、それぞれの
親にとっての、各年の運動会があり、そして
それは日本中で行われていて、親の親もそう
だったのであり、そう思うと、親の“思い”
とは、何んと大いなるものかと思う。
 私は高校二年の運動会で鎖骨を骨折した。
三十二年前のこの同じ校庭で。それを見てい
た母が、今日は孫を見に。若かった母も、十
七歳だった私も、どう仕様もなく年老いた。

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2012年1月30日 (月)

短説「娘の旅立ち」西山正義

   娘の旅立ち
 
            
西山 正義
 
 旅立つ娘に、いったい何んと言ったらいい
のか――。昨平成二十三年の十一月で二十歳
になった。この一月に成人式を迎えた。その
娘がフランスに留学する。留学といっても、
娘が通う大学が主催する「海外現地実習プロ
グラム」による短期の語学研修であるが。
 出発は明日である。一月三十一日から二月
二十六日までの一ト月に満たない短期留学。
今では驚くに足らない。三十年前、私の高校
でもアメリカへホームスティがあったくらい
だ。旅立ちだなんて言う大袈裟なものではな
い。ただ、東京生まれの東京育ちの者にとっ
ては、大学進学などでの“上京”体験がない
ので、やはり旅立ちと言えるかもしれないし、
されど渡欧だ。と、そう大きく構えてしまっ
ているのは親だけのようだ。
 一口にフランスと言っても広いわけで、パ
リは経由のみで、滞在先はトゥールである。
本土中部のアンドル=エ=ロワール県の県庁
所在地ということだ。バルザックの生まれ故
郷。高松市と姉妹都市のようだが、そこが日
本における香川県的な所なのか岐阜県的な所
なのかは皆目イメージがつかめない。
 スーツケースに入れたものはどうだ、手荷
物や貴重品はどうだ、書類は揃っているか、
連絡先や日程の控えをとり、何度も忘れ物は
ないか、わざわざエクセルでリストを作り、
チェックしてと、親父があれこれ指図し、本
人以上にテンションが上がっている。いや、
無理やり上げているといった方がいいかもし
れない。準備期間は充分あったのに、なぜも
っと早くになどと言いながら、直前になって
一番あたふたしているのは親父である。
 たぶんそれは、私自身が日々の仕事にテン
パっていて、娘のことに思ったように当たれ
ない苛立ちの反映なのであろう。

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2011年11月10日 (木)

短説「休みの日に」西山正義

   休みの日に
 
            
西山 正義
 
 ストーブを出した。急に寒くなってもいつ
でも使えるように。去年の灯油がまだ少し残
っていた。試運転すると、あの独特の匂いが
部屋を満たした。
 あれほど暑い暑いと言っていた平成二十三
年の夏もいつの間にか過ぎ、秋も深まりつつ
ある。恐ろしいスピードで月日が流れる。
 徹夜仕事明けの午後。妻は墓参りで仙台へ
行き、息子は高校の修学旅行で沖縄に行って
いる。娘は大学へ。授業が終わっても、サー
クルの活動で帰りは遅くなる。要するにお父
さん一人の午後なのだった。
 それが十月二十七日のことで、はや二週間、
立冬も過ぎた。十一月に入って暖かい日もあ
ったが、今朝はストーブを点けた。勤務のシ
フトが明日に延び、今日は休みになった。
 息子は野球部の「朝練」で早くから出掛け
た。娘も、つい最近始めたセブンイレブンの
アルバイトが早朝から三時間あり、帰宅する
なりすぐに大学へ向かった。
 その娘だが、あさって十二日、二十歳にな
る。娘が生まれたのは、義父が六十歳で突然
亡くなった、その二ヵ月後だった。あれから
二十年。初めて対面した産院の部屋。生まれ
た頃の写真を見、その頃のこと、そしてそれ
からのことを思えば、月並みだが「感無量」
という言葉しか思い浮かばない。
 娘が生まれ、まだ小さい頃に、将来、こう
もしたいああもしたいと思い描いたこと、そ
の何パーセント出来ただろうか。娘が高校生
ぐらいになったら、格好いいオヤジとして美
術館巡りなどをしたいと思っていたものだ。
 いま二十歳を迎えるにあたり、尤もらしい
訓戒を垂れる気はないが、何か特別なことを
してやりたい。そう思うが、妙案が思い浮か
ばない。いずこも同じ親心があるばかりだ。

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2010年12月31日 (金)

「二〇一〇年のアリバイ」

 二〇一〇年も暮れていく。あんなに遠い先のことだと思っていた二十一世紀もはや十年が過ぎてしまったわけだ。娘が大学に入り、息子も高校一年になった。もう彼らの時代だ。“失われた時を求めて”といっても、とても取り返せるものじゃない。途轍もなく長い歳月が流れ去ったのだ。
 それでも今年の年末は、二つの“時間”を取り戻す(あるいは取り戻せそうな予感がする)ことがあった。一つは、中学からの友人(というより音楽仲間)のライブに行ったこと。ライブそのものもそうだが、それ以上に友人の変わらぬ“思い”に触れたこと。
 もう一つは、小川和佑先生の文学ゼミで、九州に移住した後輩が十四年ぶりにラドリオが営業している間に帰省できるというので会ったのだが、それが思わぬ大同窓会になった。「ラドリオに集合」の一言で、声をかけた全員が間違うことなく集まったのだ。その十名こそが、二十二年前に発足したゼミOB会のコアメンバーなのだった。しかしこの十数年その全員が揃うことはなかった。全員が、それもあたかも以前と変わらないが如くに一堂に会せるとは。その快挙に何かの予感。
 ところがそんな矢先の晦日、つまり昨日なのだが、父親がやらかしてくれた。ブレーキとアクセルを踏み間違えて、自宅の壁と車を大破させたのだ。怒鳴る気にもならない惨状である。車の運転に関しては父もバリバリであったはずだ。“老い”である。二歳年上の芦原修二氏が電車接触事故を起こすのも、七歳上の小川先生が数年まえ膝の腱を切ったりするのも無理はないのかもしれない。
 そして短説。一九九五年に復帰して以来、十五年間、年に最低でも一作は書いていた。これはその十六年目のアリバイである。

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2010年2月12日 (金)

短説「悦子」西山正義

   悦 子

            
西山 正義

 関東ローム層は霜柱が立ちやすい。
 悦子はその日取引先へ直行となり、いつも
より遅く家を出た。ちょうど小学生の登校時
刻で、悦子の前を後ろをランドセルが行く。
このあたりにはまだ近郊農家の畑が、住宅地
のあいだに点在している。
 今年の冬は冷え込みが厳しい。畑は一面、
霜柱であった。むかしの農道が駅への近道に
なっていた。そこは一部舗装されておらず、
垣根沿いには、やはり霜柱が立っていた。
 小学生がそれを踏んでゆく。わざと音を立
てて踏んでいるのである。
「楽しそう」
 悦子は、手袋に白い息を吐きかけながら、
そう呟いていた。
「私もしてみたい」
 いつもはよけて通っていたのに。しかし、
ハイヒールでは……。
 悦子は二十九歳になっていた。短大では珍
しい法律科を出、光学機器メーカーに入社し
た。最初は一般職であったが、企画能力を買
われ、総合職的な仕事にも就くようになった。
しかし、キャリアでもお茶汲みでもない中途
半端な立場で、あまり居心地がいいとはいえ
ない。OLとしては生真面目すぎるきらいが
あり、ガードが堅そうに見られた。
 日曜日。悦子は早く起きた。洗顔と歯磨き
だけで、すっぴんのまま外へ出た。ジーンズ
にスニーカーを履いていた。
 見事にせり上がった霜柱の断面が、朝日に
輝いていた。悦子は踏んだ。音を立てて。ゾ
クッとする。一歩二歩と歩く。足踏みしてみ
る。おもしろい。もう一度。靴が滑って、転
びそうになる。可笑しかった。声をあげて笑
った。いや、笑ったつもりであった。悦子は
天を振り仰いだ。冬の日が眩しかった。


〔発表:平成18(2006)年2月第126回通信座会~3月ML座会/2006年5月号「短説」/WEB版初公開〕
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2008年10月25日 (土)

短説:作品「笑顔」(西山正義)

   笑 顔
 
            
西山 正義
 
 ショーケースから顔を上げた時だ。
「お決まりですか」
 ぼくが彼女の笑顔にぶつかったのは。こん
な素敵な笑顔は見たことがない。
「あ、えーと、このチョコレートケーキと、
そっちのチーズケーキ」
「レアのほうですね」
「はい。それと……、あのブルーベリーのと、
それからモンブランも」と、余計なものまで
買ってしまった。一人で四つもどうするのだ。
 学校を出て、一人暮らしも十年になる。せ
めてケーキでも買って、誕生日を祝おうとし
たのだ。
 甘党のぼくでも四つはきつかった。それで
も二日後にまた行った。彼女の笑顔見たさに。
 一ト月も経つと、よく一人でケーキを買い
に来る変な男の客ということで、店にも知ら
れるようになってしまった。
 すでに三か月経った。日曜も仕事になった
り、遅い日が続き、しばらく行けなかった。
三週間ぶりに行くと、やはり彼女の笑顔が迎
えてくれた。
「今日はどれにいたしますか」と彼女がにっ
こり。
 ぼくはつい、こんなことを口走っていた。
「その笑顔をください」
「レアのほうですね」
「え?」
 意味がよく分からなかったが、「あ、ハイ、
できればレアで」とぼく。
 サイフを出そうとすると、
「これは売り物ではありませんので、差し上
げます。どうぞ」と言って、彼女は笑顔を顔
から外した。
 ぼくは、その笑顔を受け取ると、てのひら
に慎重にのせ、店を出た。

〔発表:平成17年(2005)年9月・第119回通信/東葛座会~10/12月・ML座会/2005年12月号「短説」/再録:2006年4月号「月刊TOWNNET-常総・歴史の路」/再録:「西向の山」upload:2006.2.5〕
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