2008年10月25日 (土)

短説:作品「笑顔」(西山正義)

   笑 顔
 
            
西山 正義
 
 ショーケースから顔を上げた時だ。
「お決まりですか」
 ぼくが彼女の笑顔にぶつかったのは。こん
な素敵な笑顔は見たことがない。
「あ、えーと、このチョコレートケーキと、
そっちのチーズケーキ」
「レアのほうですね」
「はい。それと……、あのブルーベリーのと、
それからモンブランも」と、余計なものまで
買ってしまった。一人で四つもどうするのだ。
 学校を出て、一人暮らしも十年になる。せ
めてケーキでも買って、誕生日を祝おうとし
たのだ。
 甘党のぼくでも四つはきつかった。それで
も二日後にまた行った。彼女の笑顔見たさに。
 一ト月も経つと、よく一人でケーキを買い
に来る変な男の客ということで、店にも知ら
れるようになってしまった。
 すでに三か月経った。日曜も仕事になった
り、遅い日が続き、しばらく行けなかった。
三週間ぶりに行くと、やはり彼女の笑顔が迎
えてくれた。
「今日はどれにいたしますか」と彼女がにっ
こり。
 ぼくはつい、こんなことを口走っていた。
「その笑顔をください」
「レアのほうですね」
「え?」
 意味がよく分からなかったが、「あ、ハイ、
できればレアで」とぼく。
 サイフを出そうとすると、
「これは売り物ではありませんので、差し上
げます。どうぞ」と言って、彼女は笑顔を顔
から外した。
 ぼくは、その笑顔を受け取ると、てのひら
に慎重にのせ、店を出た。

〔発表:平成17年(2005)年9月・第119回通信/東葛座会~10/12月・ML座会/2005年12月号「短説」/再録:2006年4月号「月刊TOWNNET-常総・歴史の路」/再録:「西向の山」upload:2006.2.5〕
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2007年11月25日 (日)

短説:作品「海」(西山正義)

   
 
            
西山 正義
 
 おれは死にたいと思ったわけではない。し
かしそれは明らかに死への誘惑だった。海を
見ていた。いや、海を見ている自分を見てい
た。その海は、たとえば冬の日本海の荒海と
いったものではなかった。
 右手に江ノ島が見えていた。眼下には、砂
鉄を多く含んだ砂浜がなだらかに伸びていた。
初夏の湘南である。空はあくまでも晴れてい
た。平日の午後。幼児を遊ばせている母親た
ちのグループが一組いただけだった。サーフ
ィンのメッカであるが、ビッグ・ウェーブに
はほど遠く、波も穏やかだった。
 おれは独りでいたのではなかった。勤務先
の大学が主催する、ある公開講座のフィール
ドワークの付き添いでいたのだった。その講
座は、二人の教授が交互に全国の神社仏閣に
ついて講義するというものだが、実地見学会
があるのが売りであった。受講生はほとんど
が高齢者であるが、すでにみな顔見知りで、
暗い翳などどこにもなかった。
 その浜は、新田義貞の鎌倉攻めで有名で、
つまり稲村ヶ崎なのだが、現在では鎌倉海浜
公園として整備されている。広場には逗子開
成高校ボート部遭難事件の慰霊碑があった。
 おれが死に誘われたのは、しかしその時で
はない。それから一年もして、その時の情景
を思い浮かべた時だった。海に向かって佇ん
でいる自分。一行から離れ、一瞬独りになっ
たのは、いい構図の写真を撮ろうとしたため
で、特に意味のある行動ではなかった。
 おれは浜辺に立っていただけだ。なのに、
その自分を後ろから見たおれは、にわかに死
の予感に包まれた。それは、十五のころ夢見
た、甘美な死といったものではなかった。か
といって、恐れや戦きとしてのそれでもなか
った。ただ、海が広がっているだけだった。

〔発表:平成19年(2007)6~7月ML座会/2007年9月号「短説」/WEB版初公開〕
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2007年4月10日 (火)

短説:作品「鉄」(西山正義)

   
 
            
西山 正義
 
「あんた、鉄と結婚すれば」
 と、彼女に言われた。
 たしかに僕は鉄が好きだ。実際、日夜仕事
で鉄を作っている。結婚の話が出ていた。僕
は決して上の空で聞いていたわけではない。
しかし、喫茶店の卓上に置かれていた、スチ
ール製のメニュー・ホルダーを、僕は無意識
のうちに弄んでいたらしい。それがまるで、
女を愛しむような手付きだと言うのだ。
 思えば、幼い頃からプラスチック製の物よ
りブリキのおもちゃを好んだ。少し大きくな
ると、廃線となった鉄道の線路に、頬をくっ
つけては恍惚となっていたものだ。蒸気機関
車に軍艦、鉄塔。なるべく無骨な方がいい。
H鋼が横たわっているだけでも興奮する。
 何よりも、その質感と匂いだ。そして、冷
たさ。僕はしかし、日々熱い鉄に接している。
正確に言えば、どろどろに溶けて真っ赤に焼
けた鉄鉱石なのだが、溶鉱炉の中でコークス
と反応させ、不純物を取り除き、「銑鉄」に
還元する。その後、炭素を除去する工程を経
て「鋼」になる。が、それ以降は、僕の与り
知るところではなく、最終的にどんな製品に
なるかは知らない。しかし、あらゆる鉄製品
のおおもとは、僕が作っているのだ。
「君って、鉄に似ているんだけどな」
 と僕は言った。彼女はすかさず、
「ばか言わないでよ。あたしはあんなに硬く
なし、冷たくもないわ。錆びたりもしないし」
 と口を尖らせた。そういうところが鉄っぽ
くて、可愛いんだけど、と言いたかったが、
僕は別のことを言った。
「ステンレスなんて物もあるけど、鉄を錆び
させない方法があるんだ。知ってる? それ
はね、使い続けることなんだ。線路の鉄だっ
て、車輪が通るところは、錆びないだろ」

〔発表:平成17年(2005)11月通信&ML座会/2006年2月号「短説」/再録:「西向の山」upload:2006.7.5〕
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2006年10月 6日 (金)

短説:作品「玉」(西山正義)

   
 
            
西山 正義
 
 通勤途中、朝晩通る鉄路沿いの細道に、地
場野菜の販売所があった。葦簾を張っただけ
の無人の掘っ建て小屋である。ある日の帰り、
そこについぞ見たことのない物体が置かれて
いた。色といい艶といい、最初は玉こんにゃ
くかと思った。が、それにしては異様に大き
い。僕が近づくと、その玉がニッと笑いかけ
てきた。僕は立ち止まり、周りを見回した。
 手にとってみると、意外にずっしり、ひん
やりしている。大きさはちょうどプリンスメ
ロンぐらい。こんにゃく玉のようでもあった
が、とても食べられそうにはない。そもそも
売り物だろうか。誰かのいたずらではないの
か。人が来た。鞄で隠す。とりあえず百円玉
を二枚集金箱に入れ、アパートに持ち帰った。
 同僚の披露宴でもらった皿を引っ張り出し
てきて、その上にのせておく。見ていると、
気持ちがなごむような、不吉な予感がしてく
るような。生きているようにも思える。僕は
そいつを机の真ん中に飾り、家にいる時はそ
ればかり眺めているようなことになった。
 数日後、少し大きくなっていた。手をかざ
すと、喜んでいるように見える。二週間後、
洗ってみた。するとさらに大きくなった。水
分を含んだからではなく、どうも僕がさする
と、加速度的に膨張するようだ。
 しかし、僕がいない間に縮んでいたりもす
る。僕はまた触らずにはいられなくなる。一
体これは何か。こいつは何かの反映ではない
のか。同僚は、こんな僕にもついに女ができ
たかと言う。曖昧にこたえるしかない。
 朝起きる。会社から帰る。週末はどこへも
行かない。僕はそいつを日夜さすった。
 そしてついに、それは部屋を圧するまでに
なった。人間が入る隙間もなくなったので、
僕はアパートを引き払い、会社も辞めた。

〔発表:平成17年(2005)7月・第117回通信座会~8月・ML座会~9月・東葛座会~9/10月・ML座会(第10稿)/初出:2005年11月号「短説」/再録:「西向の山」upload:2006.2.5〕
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2006年7月 5日 (水)

短説:作品「豚」(西山正義)

   
 
            
西山 正義
 
 私の目の先に雑木林があった。その林の手
前から三番目の木に、楕円形の白っぽい物が
ぶら下がっていた。近寄ってみると、それは
豚だった。
 東京のベッドタウン。南に団地、北に一戸
建ての住宅が広がっていた。そのあいだの直
線道路をはさんで、草野球のグラウンド二つ
分ぐらいの公園があった。
 私は営業で来ていた。初めての町である。
テーブル付きのベンチがあった。私はアタッ
シュケースを投げ出し、腰を下ろした。掌に
把手の跡がついていた。
 私は一服し、日が没する方に目を向けた。
そして立ち上がったのだった。
 豚が首吊りしている。
 私は面食らったが、たしかに豚である。し
かも、肉屋にぶら下がっているようなそれと
は、明らかに様子が違う。第一に、それは生
きていた。白くてきれいな豚である。
 どうもオスのようだ。まだ若そうだった。
目が合った。笑っているように見える。
「おい、君はこんな所で何をしてるんだい」
 私は揺すってみた。するとニヤッと歯茎を
出して、「お兄さんもやってみるかい」と言
った。言葉が通じるらしい。
 サッカーボールが飛んできた。若い母親が
駆けてきた。女の匂いが漂う。「ちょっとイ
ケテルんじゃない」と豚が片目をつむった。
「そんなことより、苦しくないかい」
「苦しくないよ」
 豚の首はどこなんだろうと思っていると、
「ここだよ」と教えてくれた。しかし前足は
短すぎて、どこを指したのかよく分からない。
 向こうの小径から犬を連れた婦人が来た。
私を胡散臭げに見やって、足早に通り過ぎて
行く。犬が吠えた。

〔発表:平成18年(2006)1月第123回通信座会 /第二稿:2006年2月ML座会/初出:2006年3月号「短説」(芦原修二「短説逍遥」60)/再録:2006年4月号「短説」/再録:「西向の山」upload:2006.7.5〕
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2006年5月20日 (土)

"Pig" by Masayoshi Nishiyama

The Tansetsu:English Work
 
Pig

Masayoshi Nishiyama

 
 There was grove of miscellaneous trees in a point of my eyes. A whitish thing of an ellipse form was hanging down from the third tree from this side of the wood. When I tried to approach, it was a pig.
 A bedroom town in Tokyo. The housing development spread out south and the residence of a single-family house spread out north. It faced across the straight line road between them, and there was a park which is a size of about two grounds of amateur baseball.
 I was coming to here on business. This was the first time that I visit this town. There was a bench with a table. I gave up the attache case and took down the waist. Marks on a handle were attached to my palm.
 I had a smoke and turned my eyes in the direction which the sun sets in. And I stood up.
 The pig hanged itself.
 Although I was confused, to be sure, it was a pig. Besides, the situation was clearly different from it which is hanging down from the butcher. First of all, this pig was alive. It was a white and beautiful pig.
 It seemed to be a male. It still seemed to be young. Our eyes matched. He seemed to laugh.
 "Hey, What are you doing in such a place?"
 I tried to shake it. Then, he took out his gums and said "Hi my brother, don't you try to do like me?". For some reason, that pig is able to have seemed to speak words.
 The soccer ball has rolled over here. A young mother ran in pursuit of it here. A smell of woman drifted. "Isn't she nice?" That pig said and winked.
 "More than such a thing, aren't you painful?"
 "Yes, I am."
 When I thought that the neck of a pig would be where, he taught "It's here". However, his forelimb was too short and I did not understand it well where he pointed out.
 A woman who was with a dog came from a narrow path over there. She saw me being suspicious, and went past at a quick pace. The dog barked.

(translated by author himself)〈May 2006 Mailinglist session〉〔原作発表:平成17年(2006)1月通信座会・2月ML座会/初出:「短説」2006年3月号〕
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2006年3月28日 (火)

短説と写真のコラボレーション「桜」

   
 
            
西山 正義
 
 高樹朝子は、「はけ」の道を歩いていた。
 この「はけ」とは、古代多麻河が南下して
いった軌跡で、武蔵野台地に崖線をかたち造
っている。大岡昇平の『武蔵野夫人』で有名
になったあの「はけ」である。これには二系
統あって、ここ調布市にはこの二つがほぼ並
行して走っている。武蔵野夫人道子が悶々と
して過ごした旧家があった「はけ」は、国分
寺崖線の方で、いま朝子が歩いているのは、
南よりの府中崖線に属す。
 
Ts2a0150_1
 
 春である。桜が満開。この「はけ」下に沿
った道は、多摩川住宅という大きな団地の外
周道路でもあり、両側の歩道の街路樹はすべ
て桜である。樹齢四十年ほどになったソメイ
ヨシノは、今がまさに花の盛りで、この道を
桜のトンネルにする。
 
Ts2a0152
 
 朝子は胸を大きく反らし、満開の桜を見上
げた。午後の物憂い時間、人影も途切れた。
私はいま桜を独占している。
 息を深く吸い込む。薄いブラウスを透かし
て、そう豊かではないが形のいい乳房が隆起
する。官能が刺戟された。からだの内部から
火照ってくるのがわかった。
 
Ts2a0159
 
 桜の精がからだの中に入ってくる。朝子は
そう思った。あからさまに言えば、それは性
的な快感であったが、幼児がそれと知らずに
感じる快感に近かった。だが、子を二人産ん
で、子育て真っ最中の朝子にとって、それを
認めるのはやはりなんとなく躊躇われた。
 
Ts2a0155
 
 しかし朝子は、腰から砕けてしゃがみ込み
たいような感覚に襲われた。幹に手をつく。
それは色艶もよく、がっしりとしていた。さ
ながら中年女のように。私はこんなんじゃな
いわと言ってやりたかった。
 桜がまた匂う。ぶるっとからだが震えた。
思わず朝子はあたりを見回した。
 
Ts2a0156
 
*短説と写真「桜」完全版はこちら        

〔発表:平成12年(2000)5月第74回東葛座会 (千葉県松戸市・戸定が丘公園探題会)/第二稿:2000年6月ML座会/初出:2001年3月WEBサイト「水南の森」/再録:2001年5月号「短説」〈年鑑特集号〉/再録:「西向の山」upload:2003.3.29/2006.3.28〕
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2005年12月10日 (土)

短説:作品「月」(西山正義)

   
 
            
西山 正義
 
「ねえ、見て」
 美加が友一の手を引っ張って言った。
「お月さんが、ヘン」
「え?」
「なんか、ぼよぼよしてるよ」
「ああ、すごいね、朧月だ」
「ボロい月?」
「おぼろ月」
「ふーん」
「そういえば、昼間、虹、見たね。あんなに
くっきりした虹見たの久しぶりだよ」
 いや、空を見上げること自体久しぶりだ、
と友一は続けようとしてやめた。
「でも、六色しかわからなかったね。もう一
色なんだったろう。気になるなあ」
「あッ、今、笑った」
「は?」
「お月さんが笑ったよ」
「うそだあ」
「あッ、今度は泣いた」
「………」
「ほらあ」
「これは雨だよ」
「涙よ」
「……ちくしょう、降ってきたか」
 もう限界だと思った。とうとうガス欠にな
った。盗んだ車を乗り捨て、まだ造成中らし
い新道を登ってきた。この道はどこまで続い
ているのか。丘陵の下には灯がたくさん見え
るが、ここは人も車も通らない。杉ばかりで
桜もない。生暖かい風が吹く。木立が騒ぐ。
「ねえ、おじさん、どこ行くの?」
「………」
 握っている美加の手が、妙になまめかしい。
幼児の手というより、女の手のようだ。
「帰ろうか」友一は言った。

〔発表:平成15(2003)年4月ML座会(原題「高温多湿」)/初出:2004年5月号「短説」〈年鑑特集号〉/再録:「西向の山」upload:200311.1〕
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2005年11月 5日 (土)

短説:作品「蓮沼海岸」(西山正義)

   蓮沼海岸
 
            
西山 正義
 
 また幽霊の話である。大学二年の夏、サー
クルの合宿で、外房の蓮沼海岸に行った。
 僕らが作ったサークルである。大学側には、
歴史・民俗・文化研究会ということで登録し
ていたが、自分たちでは「自分の中の社会を
見つめる会」と名乗っていた。政治・宗教的
な色彩はない。一口で説明するのは難しいが、
主旨としては、従来の組織のあり方を否定し、
新たな個対個のコミュニケーションのあり方
を模索するというものであった。
 時はジョージ・オーエルの『1984』年。
構造主義とニュー・アカデミズムが一世を風
靡していた頃である。ポスト・モダンの影響
は確かに受けていたが、もちろん、それと幽
霊の話とは関係ないし、僕らは青白い顔をし
て海にも入らなかったということではない。
 朝のうち一回目の討論会をし、日中はたっ
ぷり泳いだ。関百合子の均整のとれたプロポ
ーションと、奥村靖子が相当なグラマーなの
には目を見張るものがあったが、男同士の時
にもそういう話題に興ずる連中ではなかった。
 三日目、夕焼けを背に海から上がってきた。
丈の高い葦に囲まれた小径を抜け、宿の前の
道に出る。横切れば民宿の前庭。僕は、中学
からの親友・草野と最後尾にいた。埃っぽい
その道は、海岸線らしく、その辺りで大きく
蛇行し、道幅も狭くなっている。
 まさに黄昏だった。宿の前庭西側に、傾き
かけた木製の電柱があった。見上げたのは草
野と殆ど同時だった。ちょうど電線を繋ぐガ
イシがある辺り。ほの白く漂うものがあった。
幽霊! 草野と顔を見合わせて頷きあった。
 その夜、宿の前で自動車事故があった。サ
ーファー同士の正面衝突。僕は民宿の電話で
警察に連絡したりしていたが、草野が指差し
た。事故現場は、例の電柱の真下だった。

〔発表:平成17(2005)年1月ML座会(原題「蓮沼」)/初出:2005年4月号「短説」/再録:2005年7月号「月刊TOWNNET」通巻368号/再録:「西向の山」upload:2005.8.25〕
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2005年9月30日 (金)

短説:作品「流山」(西山正義)

   流 山
 
            
西山 正義
 
 昭和維新を夢見て、壮士気取りの若者が四
人。リーダー格の田端は眼光鋭く、口髭を蓄
え、戦時中の国民服を模した服を着ていた。
平川は羽織袴に朴歯の高下駄。麻生はいわゆ
る戦闘服。間宮はごく普通の学生服だったが、
蝋で固めた学帽を目深に被っていた。
 間宮の運転するターボ・チャージャー付の
最新型スカイラインに乗っていても、とても
みな一九八〇年代の学生には見えない。
 流山に来ていた。間宮にとっては初めての
土地である。地元出身千葉商大国防部の平川
のつてで、ある民族派の老人と会っていた。
 和志丸剛毅と名乗るいかにも老翁然とした
その老人は、夥しい古文書に囲まれて鎮座し
ていた。若衆の訪問に老人は気を吐いた。本
職は郷土史家だというが、間宮は胡散臭いと
思った。天下国家を論じれば、田端も黙って
はいない。いつもの大言壮語がはじまる。
「そもそもヤルタ・ポツダム体制が……」
 しかしいつの間にか、なぜか幽霊の話にな
っていた。もう夜も更けていた。
「では、これから幽霊を見に行こう」という
ことになり、間宮の車で出掛けた。田圃の向
こうに小高い丘があった。農道脇に駐車する。
 稲穂の匂いが薫った。鬱蒼とした木立の向
こう、それは居た! まるで待っていたかの
ように。甲冑姿の黒い影。見たのは間宮だけ
ではなかった。からだが硬直し、動けなくな
った。麻生が引き寄せられるように、ふらふ
ら前を行く。間宮は危うく引き止めた。こん
なにはっきり見たのは初めてだと、和志丸剛
毅も声を震わせた。――あれは何だったのか。
確かに見た。幻影とは思えない。そこは戦国
時代の古戦場跡らしいが、武州多摩郡に生ま
れ育った間宮には、もっと近しい、もっと生
々しい、そして血腥いもののように感じた。

〔発表:平成17(2005)年1月ML座会/初出:2005年5月号「短説」〈年鑑特集号〉/再録:「西向の山」upload:2005.8.25〕
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2005年8月 5日 (金)

短説:作品「あの日 あの曲」(西山正義)

   あの日 あの曲
 
            
西山 正義
 
 アーケード街を歩いていると、CDショッ
プから懐かしい曲が流れてきた。僕はふいを
衝かれ、次の瞬間足は完全に止まっていた。
こんな気持ちは何年振りだろう。僕の胸は締
めつけられ、涙まで出てきそうになった。
 あの日。あの夏の日。そう、すべてが輝い
ていた。最高の彼女と青い海。白い浜辺にビ
ーチ・パラソル。ホテルのベッドでやるシャ
ンパン。他には何もいらなかった。
 君はキャンパス中の憧れ、というか注目の
的だったんだよ。コンパニオンをやってたろ。
君の美女ぶりは学生離れしていたし、テレビ
に出ていたとかいろいろ噂が絶えなかった。
 僕がどうして君のハートを射止め、そして
別れてしまったのか、今ではもう思い出せな
い。でもその年の夏、僕らは大学三年生で、
ほとんど完璧な恋人同士だった。毎日のよう
に海に行っては、火照った身体を合わせて倦
むことがなかった。長い髪をなびかせて海辺
を走る姿は、そのまま化粧品かビールのCF
になりそうだった。大胆な水着、申し訳程度
に隠された白い領域は僕のものだった。僕は
少し赤く腫れたビキニのあとを撫ぜるのが好
きで、君はそのたびにくすぐったいと言いな
がら身をくねらせた。
 親父のセダンを拝借して、第三京浜や東金
道路を突っ走ったね。カーステレオからはい
つもこの曲が流れていた。憶えているだろ?
 あれから君はどうしたのだろう。結婚した
ろうか。子供がいたっておかしくない。僕は
……ご覧の通りさ。親父や兄貴たちの世代と
は違う生き方をしようと思ってきたけど、今
の若い奴らから見れば、みな一緒さ。
 本当に君は今どうしているのでしょう。今
も輝いていますか。もうすべては終わってし
まったことなのでしょうか。

〔発表:平成7(1995)年8月第18回東葛座会/初出:1995年11月号「短説」/再録:1995年12月23日「新いばらき」第14127号/再録:「西向の山」upload:2002.4.5〕
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2005年5月25日 (水)

短説:作品「匂う部屋」(西山正義)

   匂う部屋
 
            
西山 正義
 
「この部屋なんか匂わない?」
 裸の上にバスタオルを巻いただけの恰好で、
爪先立つようにキッチンから出てきた真弓が
言った。
 行雄は仔細らしく部屋を見回し、鼻を鳴ら
す。梅雨空の蒸し暑い日だった。雲の切れ間
から日が射してきた。
「ああ。なんともいやらしい匂いがするなァ」
 真弓が差し出すグラスを受け取るため、行
雄は身体をずり上げ、ベッドから上体だけ起
こす。このことろ二人は青りんごのジュース
に凝っている。いつでも飲むわけではない。
事が終わる。まず煙草が吸いたくなる。次に
喉が渇く。その時に飲む特別な飲み物という
わけだ。青りんごというのがミソである。
 真弓は立ったまま腰に手を当てグラスを傾
ける。喉を鳴らして青い液体を呑む。玉の汗
がひと雫、頬から顎へ、顎から喉へ伝わり、
鎖骨の窪みに落ちる。半分ほど空けたところ
でベッドのへりに腰かけ、髪をかき揚げなが
らまだ少年のような男の顔を覗き込む。
 一気にジュースを呷った行雄の裸の胸に、
果汁がこぼれる。行雄はそれを意に介さず、
口元を手の甲で無造作に拭うと、
「これだろう」
 と言って、先程まで彼女の体内に入ってい
たゴム製品を摘み、真弓の鼻先にぶら下げる。
「うーん。ゴム臭い!」
 と言いつつも、真弓はそれを手に取り、恍
惚とした表情をする。まだ生温かいそれから
は、湯気が立ちのぼるかのように見えた。
「この匂いが充満しているんだ」
 行雄はそう言うと、満足気に二本目の煙草
に火を点けた。「予備校行かなくていいの?」
という言葉にも耳を貸さず、行雄の手はまた
真弓の腰の辺りを撫ぜ始めていた。

〔発表:1997年5月第39回東葛座会/雑誌未発表/初出:「西向の山」upload2002.6.1〕
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2005年4月29日 (金)

短説:作品「息子よりお父さん」(西山正義)

   息子よりお父さん
 
            
西山 正義
 
「あッ、京王線のプラレール!」
 息子が叫ぶ。それより先に、お父さんの方
がショーウィンドーに張り付いていた。
「8000系だね。いま乗ってきたやつだよ」
「うん! あ、あっち、南海ラピート」
「ほんとだ。中にもあるよ。さあ入ろう」
 館内に入ると、右手の脇にもプラレールコ
ーナー。京王線の多摩動物公園駅に、「京王
れーるランド」というのができた。土日は混
むだろうから、幼稚園が夏休みになった平日、
お父さんのからだが空き次第、息子を連れて
来ようと決めていた。バスにも乗れ、電車に
も乗れる。息子は喜ぶに違いない。退屈しの
ぎにも丁度いい。というのは半分口実で、実
は、お父さんの方が一度来たかったのだ。
 メインは、Nゲージのジオラマで、実際に
運転士が使っているハンドルを操作して、模
型の車輌を走らせることができる。一回五分、
百円也。これは面白い。万世橋の交通博物館
でも青梅の鉄道公園でも、Nゲージは大人気
なのだが、自分で走らせることはできない。
しかも本物の運転台。制動弁の操作は幼児に
はやや難しい。思わずお父さんの手が延びる。
 さて、一番の目的は、一般には市販されて
いない京王8000系のプラレールを買うこ
と。京王線にはロマンスカーのような車輌は
ない。この最新型にしても、ごくありふれた
通勤電車で、グッドデザイン賞を受賞したと
はいえ、取り立ててどうという代物ではない。
が、長年京王線に慣れ親しんできたお父さん
としては、やはり買わずにはいられない。
「これはお父さんが管理するからね」
「うん。早く帰ろう。おうちで走らせようよ」
「もう帰っていいの? あれにも乗ってみた
いと思わない」とお父さんは、開通したての
多摩モノレールの高架を指差した。

〔発表:2000年7月第76回東葛座会/初出:2000年9月号「短説」/再録:「西向の山」upload2002.9.21〕
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2005年4月22日 (金)

短説「雨と寝る桜」(成田弥宇さん追悼)推敲作

  雨と寝る桜
 
            西山 正義
 
 あの日もこんな雨の日だった。
 今日四月十二日は、LIBIDOの成田弥
宇さんの命日。十六回忌である。LIBID
Oとは、一九八〇年代のインディーズ黎明期
において、一際異彩を放っていた伝説のロッ
クバンド。成田さんはそのリーダーで、作詞
作曲・ボーカル・ベースを担当。
 そのボーカルは一見金属的であるが、生な
肉声そのものだった。ベースは滑らかにうね
り、変則リズムを支えた。視覚的には、黒づ
くめの出で立ちに、白塗りの顔。そのライブ
は見る者、聞く者をゾクむぞッとさせた。
 詩人とロックンローラーは三十までに死な
なくてはならない。成田さんの場合、病死で
あるが、まさかそれを地で行くとは。
 はじめて会ったのは、僕が二十歳、成田さ
んが二十三。当時僕はある先輩の舎弟のよう
になっていたのだが、その先輩が成田さんと
幼馴染みだった。僕がロック少年であったの
で引き合わせてくれたのだ。
 ライブは欠かさず行った。内輪の打ち上げ
にも参加した。朝まで飲んだ。みんなへべれ
けになり、下戸の僕が機材を積んだバンドの
車を運転して帰ったこともある。
 最後に会ったのは、亡くなる五か月前。小
田原の病院に見舞いに行った。癌であった。
三十歳の誕生日を一ト月後に控え、その歌詞
「ぼくはこの道を あまりに急ぎすぎたか」
の通り、夭逝してしまった。
 実家はお寺さんで、住職を継いでいた。そ
の通夜の日、今日と同じような春の雨が降っ
ていた。境内に桜の大木があった。花はなか
ば散らずに残っていた。それが雨に濡れそぼ
っていた。夜の桜。桜に雨。「雨と寝る桜」
−というフレーズが僕に浮かんだ。「死んで
生まれた」と、成田さんも歌っていた。

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2005年4月12日 (火)

雨と寝る桜(成田弥宇さん追悼)

  雨と寝る桜
 
            西山 正義
 
 あの日もこんな雨の日だった。
 今日四月十二日は、LIBIDOの成田弥
宇さんの命日。十六回忌。LIBIDO(リ
ビドー)とは、一九八〇年代のインディーズ
・シーンにあって、独特な光芒を放ち、一種
カリスマ的存在でもあった伝説のロックバン
ド。成田さんはそのリーダーで、作詞作曲・
ボーカル・ベースを担当。暗黒舞踏を思わせ
る、黒づくめの出で立ちに、白塗りの顔。そ
のライブは見るものをゾクむぞッとさせた。
 詩人とロックンローラーは三十までに死な
なくてはならない。成田さんの場合、病死で
あるが、まさかそれを地で行くとは。
 はじめて会ったのは、僕が二十歳、成田さ
んが二十三。当時僕はある先輩の舎弟のよう
になっていたのだが、その先輩が成田さんと
幼馴染みだった。僕がロック少年であったの
で引き合わせてくれたのだ。最初からぶっ飛
んでしまった。
 ライブは欠かさず行った。内輪の打ち上げ
にも参加した。朝まで飲んだ。みんなへべれ
けになり、下戸の僕が機材を積んだバンドの
車を運転して帰ったこともある。
 最後に会ったのは、亡くなる五か月前。小
田原の病院に見舞いに行った。癌であった。
壮絶な闘病だったという。若かったので進行
が速かった。三十歳の誕生日を一ト月後に控
え、その歌詞「ぼくはこの道を あまりに急
ぎすぎたか」の通りに、夭逝してしまった。
 実家はお寺さんで、住職を継いでいた。御
通夜は、今日と同じような春の雨が降ってい
た。境内に桜の大木があった。花はなかば散
らずに残っていた。それが雨に濡れそぼって
いた。夜と雨と桜。「雨と寝る桜」−という
イメージが僕に浮かんだ。以来、このフレー
ズが僕の頭から離れなくなった。

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2005年3月15日 (火)

短説:作品「はじめての逢引」(西山正義)

   はじめての逢引
 
            
西山 正義
 
 身仕度を整える。そのやや長めに伸ばした
柔らかそうな栗色の髪を、少年の持っている
唯一の高級な小道具である黄揚の櫛で梳いた。
 次に昔の海軍兵学校風な学生服を着ると、
この日のために買っておいたオーデコロンを
手に取った。硬い硝子の壜は手に冷たかった。
その冷たさが心地良かった。濃いエメラルド・
グリーンの容器を物珍し気に眺めながら、そ
の表面を愛撫し手触りをしばらく楽しんだ。
その感触にまだ知らぬ女の肌の滑らかさと冷
たさを想像した。
 香水は暗い密室でまだ瞑っている。静かに
集まって。神秘的な沈黙。それは毬藻に似て
いた。だが眠っていても猫のようにそれは常
に待機している。蓋を外す。すると瞬時に粧
って、自らの使命のために舞い上がる。
 少年は目の眩む思いでホックを解き、初め
てつけてみる香水を学生服の内側に振りかけ
た。香料は朝の匂いがした。
 一体いつまで時間をかければ気が済むのか。
持ち物を何度も点検し、鏡の前に立ち、髪や
服の乱れを直す。そして鏡の中の自分の顔を
仔細に調べた。面皰がまだ所々に残ってはい
たが、もう気にするほどではない。髭は昨晩
のうちに綺麗に剃っておいたので大丈夫だ。
まだ毎朝剃刀を当てる必要はなかった。
 最後に少し離れて姿全体を鏡に写す。少年
はちょっと気取ってポーズをつけてみる。す
ると自然に笑みがこぼれ、向こう側のもう一
人の少年に目配せするようにニッと笑った。
 自分の部屋を一通り眺め渡す。そして一つ
大きく深呼吸してから部屋を出た。居間を抜
ける時ふと思い付いて立ち止まり、壁を振り
仰いだ。東向きの壁には神棚が掛かっている。
今日に限って丁寧に二拝二拍手一礼した。
 こうしてようやく家を出発した。

〔発表:1987年2月第18回東京座会/初出:1987年3月号「短説」(月刊化第1号)/再録:年鑑短説集(1)『旅のはじまり』1987年7月/「西向の山」upload2002.4.5〕
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2005年2月15日 (火)

短説:作品「行く末」(西山正義)

   行く末
 
            
西山 正義
 
 わが家の長男は、まだ海のものとも山のも
のとも知れない。五歳の幼稚園児なのだから
当然といえば当然である。私にしても、この
期に及んでまだ自分自身の可能性に未練があ
るので、息子に夢を託すつもりはない。
 ところで、わが家の当主はあまりいい血筋
を受け継いでいるとはいえない。どうやら代
々勤め人には向いていないようなのだ。
 祖父は赤穂の出。家紋は丸に違い鷹の羽で
あるから、あの浅野家と同じだが、赤穂浪士
とは特に関係ないだろう。関西電力の技師と
して中部山岳地帯のダム工事に携わっていた
のが、そのまま木曽に住みつき、いわゆる脱
サラして小さな材木工場を始めた。頑固者の
祖父。祖母はずいぶん苦労したようである。
 一人息子の父は、しかし工場を継がずに東
京へ出た。大学を出て、最初に就職した証券
会社を上司と喧嘩して辞めたのをかわきりに、
その後も転職を繰り返し、友人と商社のよう
なものを作ったこともある。作ったこともあ
るということは、潰したこともあるというこ
とで、以後も、土地建物取引主任者として、
フリーでいくつかの会社を渡り歩いてきた。
 次男で本家を出た祖父を初代とすると、私
は三代目。どういう因縁か、私も同じような
道を歩んでいるのだが、これに母方の祖父の
血、即ち文学だの芸術だのというのが入って
しまって、どうにも始末に追えない。
 さて息子はどうか。誰に似たとしても……。
だが救いはある。母方の系統。つまり私の妻
の父もしくは祖父。わが家とは対照的に、二
人とも公務員を全うしている。しかし、息子
はこの二人に接したことがないし、お堅い家
柄に反撥して、家を飛び出したような母親の
影響力の方が強いかもしれない。いずれにし
ろ、最後はやはり息子の伴侶次第だろう。

〔発表:2000年6月第75回東葛座会/初出:「西向の山」upload2005.2.15〕
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2005年1月24日 (月)

短説:作品「三具一柳子」(西山正義)

   三具一柳子
 
            
西山 正義
             サング
 母方の祖父の筆名である。三具とは珍しい
姓だが、これは本名。一柳子は俳号。祖父が
亡くなったのは、もう二十年近く前になるが、
現在、僕が同人雑誌をやったり、文芸ゼミの
OB会の世話役などをしているのは、実は、
このお祖父さんからの隔世遺伝かもしれない。
 明治三十六年、日本橋生まれの麻布育ち。
大正九年明治薬専卒。本職は薬剤師だが、薬
局経営の傍ら、今でいうレタリングやスチー
ル写真の現像はなかばプロだった。当時は珍
しい八ミリを戦時中も持ち歩いていたという。
そして俳句とヴァイオリン。多芸多才な粋人
で、祖母とともに世話好きでもあった。
 祖父の記憶は、薬とインクと煙草と万年床
の匂いとともにある。それと映写機が廻る音。
麻雀牌を掻き回す音。懐かしい牛込のあの家。
下町らしく、そこにはいつも人が集まり、そ
の中心に祖父と祖母の笑顔があった。
 同居していた幼児期は、祖父と都電に乗る
のが愉しみで、神保町へも都電で行った。僕
にとっては因縁の街。古書店街を初体験した
のだった。小学生になると、リトマス紙の実
験や将棋を教えてくれたり。最晩年、僕は高
校生。僕がエレキ・ギターを自慢しに行くと、
ヴァイオリンを取り出して、「荒城の月」を
弾きはじめた。そう、得意気に……。
 遺伝というより環境だろう。今思えば、知
らず知らずに一番影響を受けていたのは、薬
臭い調剤室で、ガリ版を切っていた姿かも。
祖父が関わった句誌の初期の号は、みな祖父
の手によって刷られている。僕が知る当時も
会報などはガリ版。所属する結社の庶務会計
等の事務一切を担当していたのだった。これ
は、まさに僕が今やっていることではないか。
 どうしてくれよう! ジジちゃん。
 時には疲れます。笑ってないで……。

〔発表:2000年2月第72回東葛座会/初出:2000年6月号「短説」&2000年6月「日&月」第8号/「西向の山」upload2005.1.25〕
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