猫の写真

2020年8月25日 (火)

わが家の老猫二匹(ともに19歳)が同じ日の朝と夕方に永眠しました

 令和2年8月13日(木)の午後5時16分、わが家に平成13年(2001)10月から住んでいるキジトラの雌猫の“ひかり”ちゃんが、静かに息を引き取りました。
 人間でいえば92歳ぐらいで、病気一つしたことがありませんでした。老衰です。天寿を全うしたといえるでしょう。

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 そのことを、10日以上経って、ようやく昨夜からウェブページに写真とともに書く気になり、朝の5時までかかってページを作成し、「わが家の猫/ひかり(8)〈2020年8月13日永眠・満19歳〉」としてアップロードしました。ですので、ブログでは繰り返しません。
 奇遇なのは、翌2002年の夏頃からわが家の庭に現われたはじめた“フサ”ちゃんも、この時すでに1歳くらいでしたから、“ひかり”と同い年の19歳になるのですが、前日の8/12に危篤になり、8月13日の朝7時頃に亡くなったのです。

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 わが家では伝説になった屈強な外猫の“黒ボス”の妻だか愛人であった“フサ”は、本当はもしかしたら結構由緒あるかもしれない長毛の洋猫です。半外猫にもかかわらず、こちらも病気知らずでした。
 私は今、糖尿病を患っていますが、猫も人間もやっぱり健康が第一だということですね。

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ひかりとフサ(亡くなる約三週間前の二匹)

 “フサ”の孫の“モコ”ちゃんは、時々わが家に来なくなったりする外猫ですが、この5月の連休頃からもう長いこと顔を見せていません。
 そして、昨年の台風19号で被災したらしく、台風の後にうちの庭に棲みつくようになった“茶白”ちゃんも、7月に入って急に姿を見せなくなりました。もともとケガをしていて、しかしまったく懐かないので病院にも連れて行けないので、梅雨と暑さの中、もうどこかで行倒れているかもしれません。
 そんなわけで、21世紀になったこの20年間に入れ替わりはありますが、一番多かったときには13匹いた猫が、みんないなくなってしまいました。(二階の妹の部屋には茶トラと黒白の2匹がいますが、その二匹のみになってしまいました)

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ひかりちゃんのお墓

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フサちゃんのお墓

 ひかりちゃん、そしてフサちゃん、茶白も、
西向の山の猫みんな、どうか安らかにお眠りください。
     ―合掌―

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2020年7月25日 (土)

メール投稿で画像も送れるかテスト

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2020年7月24日 (金)

猫と笹

二日前の“ひかり”ちゃんです。
(きのうの記事、最下段の写真の続き)

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2020年7月23日 (木)

糖尿病宣告とわが家の老描

 ついに糖尿病と宣告されてしまった。猫の話ではない、私自身がである。以前より(およそ十年前ぐらいから)、血糖値が高いと指摘され、糖尿病予備軍と言われてきたが、あくまでも「予備軍」であった。血糖値は高めだが、ヘモグロビンA1cの値はなんとか6点台を保っていた。
 8年前2012年6月春の健康診断では、5.8であった。2013年5月は6.0、2014年6月は5.9、2015年5月は6.1、2016年5月に6.4と正常の基準値を少し越える。

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 2017年5月も6.6だったが、2018年5月に7.2となり、会社の健康診断で初めて再検査となった。二ヶ月後の再検査で6.7。しかし、10月の検査では7.0、2019年1月の再検査で7.1。同年(つまり去年)5月の検査で6.6に下がった。
 二回連続で再検査となったので、さすがに青くなって対策を打つことにした。食事療法と運動であるが、ご飯に糖質カットの「マンナンヒカリ」を混ぜ、缶コーヒーを控えることにした。運動は、スクワットとウォーキング。

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 しかし、今年2月末頃からの新型コロナ騒ぎで、やはり運動不足になっていた。そして、缶コーヒーを一日一本飲んでいた。飲まない日もあったが、逆に二本飲んでしまう日もあった。家にいるときは、レギュラー・コーヒーを四、五杯飲む。それも、シュガーカットにしてはいるが人工甘味料を入れ、糖質のある牛乳も入れる。コロナでトータルひと月間休業だったときは、もっと量が増えていたかもしれない。
 去年、ヘモグロビンA1cの数値が下がったので油断していたわけだ。そして、この7月はじめの健康診断で、ついにヘモグロビンA1cが9.1になってしまった。

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 それが判明したのが7/21で、もう病院に行くレベルであると、きのう朝会社で説明を受け、その足で病院を予約し、午後、糖尿病の専門医に行った。そして血液検査したら、なんと10.3!
 昼食を普通に食べて、約3時間半後の検査で、血糖値が310と異様に高く、もうこれは完全に糖尿病であると診断されてしまった。
 きょうは眼科に行って、眼底検査である。会社の検診でも眼底検査をやり、異常はなかったのであるが、それから一年たっている。眼底検査の結果で、治療方法や薬も異なってくるらしい。

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 さて、わが家の老描ひかりちゃんは、日に日に痩せ細っていきながらも、きょうも何とか生きている。少しでも長く生きてほしい。
 写真は上から、6/23、6/26、7/15、7/22
 4月中旬にほとんど危篤状態に陥ったことを考えれば、よくここまで生きていてくれるものだと思う。猫の時間は人間の四倍ほど早く進むという。巻き戻しは出来ないけど(それは人間も一緒だ)、少しでもゆっくりと進め!

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2020年5月31日 (日)

『信濃追分文学散歩』完成

 コロナで休業も今日で最後。外出自粛、最高に楽しかったのに……。憂鬱です。
 きのうは、おとといの夜に「信濃追分文学散歩」を完成させたので、だらだらしてしまいました。完全に運動不足です。昼間もうたた寝をし、夜の9時前には寝てしまいました。そうなるとさすがに夜中に目が覚め、いったん起きようかと思いましたが、もう一度寝て、やっと寝付いたかと思ったら、今度は猫に起こされました。
 最近は無言で枕元に坐って、顔に体や顔を押し当ててきます。それも触るか触らない程度に。そうされると、毛やヒゲでくすぐったくてしようがありません。それをわかっているようです。意図的としか思えません。それで4時半に起きざるを得なくなりました。

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 わがホームページ『西向の山』の「文学散歩」と「小川和佑ゼミの部屋」の共通ページである『軽井沢文学散歩』の《信濃追分編》が完成しました。
 その編集後記をまずは転載します。

〔平成30年/令和2年版の編集後記〕
 明大の恩師・小川和佑先生と歩く軽井沢文学散歩のページを作り始めたのは、平成15年(2003)12月17日でした。それから15年後に旅したこの〈信濃追分編〉を追加し、元の〈軽井沢編〉も大幅に増補しました。本日は令和2年(2020)5月29日です。この18ページを作るのに、実に16年半もの年月をかけてしまいました。
 令和2年、西暦2020年は、世界史(というか人類史上)に残る事件がありました。いや、まだ現在進行中です。ちょっと前までは存在すらしていなかった新型コロナウイルス(COVID-19)とやらが、全世界中にパンデミック(世界的な感染拡大)し、第二次世界大戦にも匹敵するような大変なことになっています。私も、4月16日~30日、5月16日~31日まで、二度の休業を余儀なくされました。大幅減収です。しかし、不謹慎かもしれませんが、この長い長い「外出自粛」は、私には恵みでした。お陰で、猫のページと信濃追分文学散歩を完成させることができました。
 作り始めてから16年半、この間の最大の出来事は、小川和佑先生がお亡くなりになったことです。もう一度、先生と一緒に軽井沢を歩きたいです。
「いや、もう、君たちだけで行きなさいな」
 と、言われてしまいそうですが……。
     (令和2年5月29日・西山正義)

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 小川和佑先生と最後に軽井沢を歩いたのは、平成15年の10月17日。この時季の軽井沢は初めてでした。快晴でした。自家用車で行ったのですが、二代前のイプサムでした。この時も現地にいたのは午前10時から午後4時半頃までの6時間ちょっと。
 それから15年後の4月、信濃追分にいたのも午前10時から午後5時までの7時間。合わせて13時間半。それを18ページのホームページにしました。完成するのに16年半。最後は、コロナのお陰で完成できたといっても過言ではありません。
 それがきょう一日で最後です。いつまでも「外出自粛」では、生活が破綻しますが、本音を言えば、引きこもっていたいです。
 きょうは日曜日。奇跡的ともいえる10週連続で日曜日が休みになったのに、ソフトボールがすべて中止でした。こんなに長く休んだ(できなかった)ことは一度もありません。来週からようやく再開。東京は第二波が懸念されますが、さすがにいい加減に運動したいです。

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2020年5月17日 (日)

コロナで休業、僕には猫の介護

 前回の投稿(4月5日)からちょうど六週間が経った。この間は、言うまでもなく新型コロナウイルス(COVID-19)の感染拡大による「緊急事態宣言」出されている期間で、14日に「特定警戒都道府県」を除く39県で解除されたが、僕が住む東京ほか首都圏はなお継続中で、外出自粛が求められている。
 とにかくこのCOVID-19のパンデミック(全世界的な感染爆発)は、驚愕・驚嘆以外の何物でもなく、第三次世界大戦にも匹敵するような歴史的な大事件である。しかもまだ、その渦中にいるわけだ。
 経済的な打撃は計り知れず、歴史の教科書で知っているだけだが、誰もが経済上の最大の事件として知っている1929年からの世界大恐慌よりも酷いのではないかと言われている。そりゃあそうだろうと思う。

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 僕の勤務先も4月16日から31日まで休業になった。5月1日から業務再開されたが、きのう16日から今月いっぱい再び休業である。つまり4月なかばから5月末までの八週間のうち四週休みというわけだ。
 それで給料が全面的に保障されるわけではない。まったく出ないよりはましだが、大幅減収である。さらに僕は、年次有給休暇の所得義務があり、トータル五週間(ほぼ丸々一ヶ月)休み。
 しかし僕には幸いである。わが家の19歳になる超高齢のお婆さん猫が、4月14日ころから急に弱りだし、コロナで休業になった16日にはほとんど危篤に近い状態に陥ったのだが、お陰でずっとつきっきりで看護できた。弱り方が急激でびっくりしたのだが、病気というよりさすがにもう老衰だと思っていた。看護といっても、獣医ではないので、見守ることしかできない。
 それでもちょうど休みになったので、一日中夜中もほとんど寝ずに世話することができた。
 それで、実はこの休み中にあの世に見送ることになるだろうなと覚悟もしたのだが、驚異的な回復力で、4月23日ころにはかなり回復し、25日にはほぼ快気したといっていい状態に戻ったのだった。

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 それからは毎朝、以前にもまして早朝に起こされ、食欲も旺盛。老衰ではなく、何かの病気だったのでしょうね。仔猫のときから19年間一度も病気になったことがなかったのだが。(まさかコロナ?)
 そんなことになる前、何か虫の知らせでもあったのか、3月8日から、僕のホームページ『西向の山』の更新を取り止めていた(というより諦めていた)ページ「猫の部屋」を14年ぶりに更新し、新規ページの作成を再開したのであった。
 前回の投稿で、「約一ヶ月の間に7ページ作った」と書いたが、その後さらに4ページ(しかも量の多い)を作成した。特に最後の2ページ、そのお婆さん猫“ひかり”ちゃんの最新アルバムは、なんとしても死んでしまう前に完成させたい一心で作った。
 その後幸いにも回復したわけだが、今回のコロナの休業は僕にとっては“ひかり”の介護のためにあったような感じなのだった。

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2020年2月22日 (土)

令和二年のにゃんこの日に

 令和2年/西暦2020年の2月22日、にゃんこの日ということで、わが家のお猫様の写真を。

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ジャック(2011年8月6日)

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シロ(2012年5月7日)

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クロ(2015年2月15日)

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ひかり(2015年2月15日)

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フサ(2019年4月21日)

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茶白(2019年11月8日)

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2018年6月21日 (木)

公園の猫

公園の猫 狛江の前原公園(通称・とんぼ公園)にて 小型ボートを利用した花壇の上でお寝んね中のキジトラ君(たしかオス) 実はエサを持って来てくれるオジサン待ちなのでした。

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2017年7月 7日 (金)

箱根山の猫

箱根山の猫
新宿箱根山の中腹のベンチで優雅に(というよりデレーッと)寝そべるお猫さま。
今日も暑く32℃を越える真夏日ですが、ここは完全な木陰で風通しも良さそうです。
暖かい所と涼しい所は猫に訊け、ですな。
猫の頭のうしろに見えるのが箱根山の碑です。

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2017年6月 2日 (金)

箱根山の紫陽花と黒猫

箱根山の紫陽花と黒猫

 

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