詩・歌詞

2012年9月13日 (木)

ラジオ (「僕の原体験」2)

調べてみたら
(今は簡単に調べられますね)
ソニーのスカイセンサー5900が出たのは
1975年の10月とのこと
すなわち昭和50年だ
子供に言ったら
「昭和時代」と笑われるだろう

 

誰だったのかは覚えていないが
クラスの一人が発売すぐに手に入れたはずだ
ということは
季節は晩秋から冬
12月頃だったのかもしれない
もしかしたら
クリスマスのプレゼントで手に入れたのかも
そうだとすると
12月も暮れに近い
冬休みに入ってからか
小学生が夜に集まるなんて
やはり休み中のことかもしれない

 

僕のクーガ115は
ステンレスのヘアーラインを貼ったような
メタリック調のフロントパネルが特徴で
真ん中に16cmのダブルレンジスピーカーが
どーんと嵌まっている
ジャイロアンテナなんていう
回転式のアンテナが付いているのが
特徴の一つだった

 

この手の機種の中では
音がよかった
とはいっても
その外部入力にマイクロホンをぶち込み
時には二股ソケットを使い二本ぶち込み
ボーカル・アンプにしていたのは無茶な話だった
でも十分に使えた
そんな時代

 

中学三年から高校時代にやっていたバンド
その活動場所は自宅に限られていた
(スタジオミュージシャンを気取っていたのか?)
とにかくひたすら曲を作り
(コピーは一切せず
オリジナルしかやっていなかった)
ひたすら「アルバム」の“レコーディング”に
いそしんでいた
没頭していたと言った方がいいかもしれない

 

いや、その話は別にしよう
僕のクーガ115は
のちにボーカル用のスピーカーとして
大活躍することになるのだった

 

そう、この昭和50年の12月
僕は十二歳と八か月
そう、たぶん、この頃から
僕は(幸か不幸か)「目覚める」ことになる
音楽に「出会った」のもこの頃だ

 

その発端の一つがラジオだったといえる
(ほかに、天文学や鉄道なんていうのもあるけど)
国際的なニュースに耳を傾け
極東地区への布教を目的とした
キリスト教の宗教放送まで熱心に聴いていた

 

でもね、それにはね
わけがあるのですよ

 

僕は小学四年の終わりから
中学受験のための勉強を始め
当時は今以上に特殊な存在だった
「四谷大塚」なんていうところにも通っていた
最初は嬉々として
しかし、いよいよ受検が迫ったこの頃になって
僕は息切れがしていたのだ

 

試験前になると
関係のない本が読みたくなる式のあれだが
それだけでなく
おそらく、いわゆる第三次性徴の発現
とも関わっていたのだろう
四月生まれの僕は同級生の中では早熟で
この頃すでに声変りしていた

 

そこに
ラジオ(聴取に加えて、作る方も)
それに、天文学、鉄道
(それらの専門的な難しい雑誌を読むこと)
そして、音楽(洋楽)
さらには宗教に考古学

 

つまり「知」の世界に導かれたのだ
誰もが多かれ少なかれ経験があるだろう
最近では「中二病」なんて言葉もある
若気の至りのようなものだ
でも、僕は人並み以上に
その深いところで
本質的に影響されてしまったのだ
それは掛け替えのないものではあるけれど
ある意味では
それが不幸の始まりともいえる
生きづらさの……

 

 

※僕の作品ではないけど
向山葉子氏の短説に「ラジオ」という作品がある

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2012年9月11日 (火)

夜の散歩 (「僕の原体験」1)

夜の散歩に出たんだ
晩飯の腹ごなしにね

 

四十五年も住んでいる町さ
目新しいものなんて何もないのに
いちいち感傷的になってしまうんだ

 

十代のころも
街を彷徨っては
感傷的になっていたけど
四十九の今は
その質が違うんだ
決定的に違うんだ

 

猫がいたんで
誘われて
お山公園に入ったのさ
正式な名称があるわけじゃないんだが
むかしから「山公」って言われている
団地の中の小さな公園だ

 

久しぶりに来たら
新しい遊具が設置されていた
ここ十五年ぐらいの間に
何度か整備改修されているが
全体のイメージは四十年前とそう変わらない

 

真ん中に
コンクリートの小山があるのさ

 

小学六年生のころ
BCLが流行っていたんだ
今ではBCLって何だって言われそうだけど
Broadcasting Listening または Listener の略で
ラジオ放送(なかでも短波による海外放送)を聴取し
受信報告書を書いて(エアメールで送り)
いろんな放送局のベリカードを集める趣味さ

 

あとから思い返せば
海外のニュース(宗教や人種問題、紛争
東西冷戦だの緊張緩和だの)よくわからなくても
洋楽や英語に目覚めるきっかけになった
小学生にしては高級な趣味だったね

 

午後八時にはじまるBBCの日本語放送
これが電波状況によって
なかなかきれいに聴くことが出来なかったんだ
季節は忘れたが
同じクラスの仲間五六人で集まったのさ
その小山に

 

ソニーのスカイセンサー5800が憧れで
僕は対抗しあえて
“ナショナル” パナソニックのクーガ115
でも当時最新機種の5900を買ってもらった奴がいて
たぶんそれも持ち寄ったんではなかったか

 

午後八時
小学生が外に出るには遅い時間だ
ダイヤル(もちろんアナログだ)を合わせる
ビッグ・ベンの鐘の音が公園に響く
BBC放送の始まりの合図だ
そう、遥かロンドンからの音!
僕らは狂喜乱舞し
そう、本当に踊ったのさ
輪になって
その小山で

 

その小山は改修され
つまり上からコンクリートが塗られ
少し大きくなったような気がする
洗練されてしまってはいるが
基本は変わらない
それが今でもそこにある

 

ただそれだけのことなんだけど……

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2008年3月20日 (木)

燻銀の夜

燻銀なる光が  蒼き夜に突き刺さる
小さき蟲たちが 古びし街燈に群れる
そして立ちながら倒れてゐる
 
親からはぐれし仔犬が 棒の足に絡みつく
うるさく思ひしが   跳ね除ける力もなく
ただ立ちながら死んでゐる
 
身体の中味はそいつに喰われてしまゐ
心も空に飲まれてしまつた
骨と皮だけが 着物のやうに吊るされてゐる
 
そして眼だけは開いてゐて
何かをじつと見詰めてゐる
が 虚を見てゐるだけ
 
風が身体の中を 通り抜けて行く
 
風は 少し抵抗を感じたが
気のせいだと また何処かへ流れていつた


          ――昭和五八年(一九八三)六月一六日
          ――平成二〇年(二〇〇八)三月二〇日


Copyright(C)1983.6.16-2008.3.20 N.M. All rights reserved.

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浸 透

蟋蟀啼く静かな夜に雨が降る
もう夏も終り秋の風が膚を撫でる
時折通る車に水たまりはわななき
深夜の路にハイヒールの音が木霊する
 
             シー
 
青白い街燈の灯が霧に揺れる
麝香のような薫りが部屋を満たす
読みかけの小説の頁が風で捲れる
笹の葉さらさら耳たぶを愛撫する
 
             シー
 
静かに静かに雨が降る夜に
夏の終りを告げる秋の風が
哀愁の薫りを乗せて吹いている
悲しいの?  否、ちがう
淋しいの?  否、そうじゃない
人恋しいの? 否、そんなことはない
雨が夜の庭に降っている
ただ それだけのこと
 
             シー
 
静かに静かに  雨が夜に降る
静かに静かに  雨が庭に降る

 

          ――昭和五五年(一九八〇)八月二〇日
          ――平成二〇年(二〇〇八)三月二〇日


Copyright(C)1980.8.20-2008.3.20 N.M. All rights reserved.

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2006年1月 1日 (日)

この世の時間

夜の陶酔 それは喪わられたものたちが
目覚める ただひとつの扉 歌は
夜の木霊 妖しいリズムにのれば
狂おしく やがて浮上する魂の迸り
 
遠く響く 星雲のような その影
天空に舞う死蝋 それらを集めて
貪る時間 それを許されるのは
夜が明けるまでの僅かなひととき
 
夜の時間 星も月もいらない 静かに
滑らかに 五感を刺激する 波は
夜の言葉 匂い立つ大気のなか
蘇生する ゾンビの如く厳かな蠢き
 
火をつけて 冷えたエンジン いつか
燃えることを忘れた その心を
嵐のように攪拌し 噴出させるのは
夜の亀裂をおいてはないのだから
 
          ――平成八年十月二十九日/十二月二十一日
Copyright(C)1996-2006 N.M. All rights reserved.

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2005年12月15日 (木)

ひからびて

ひからびてしまっている
本当はわかっているのだ
何をしなければいけないのか
おとといも きのうも きょうも
やるべきことがある筈だ
動けない 思考が進まない
実にピリッとしない
すっきりしない
ああだこうだ言うまえに 
普通に生活しろ
月 火 水
家から一歩も出ていない
あしたからの 木 金 土
特に予定はない
日曜のみ いきなり活動的
それではひからびもするだろう
わかっているのだ
わかっているさ
でも動けない
また再びの十二月の街

 

(初出:gooブログ「一日一枚」)

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2005年12月 5日 (月)

言葉のために

ぼくは 毎日
夜を磨いている
ぼくは 今日
昼を忘れた
 
言葉の力
言葉の刃
 
夜を因数分解して
夜にブルースを唄う
 
夜の成分が微粒子となり
ぼくの身体のなかに
浸透してくると
ぼくは蚕になる
 
夢想の繭
言葉の糸
□ 
夜を磨いて
夜に乾杯!
 
          ――平成元年九月十二日
                 ラドリオからの帰りの電車にて
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