お知らせ

2021年4月 6日 (火)

Re: ◇小川和佑先生トークのラジオ再放送!

「小川ゼミ通信」Vol.46
 
みなさん、昨夜の放送お聞きになりましたでしょうか。
深夜なので聞き逃した方も多いと思います。
NHKのインターネット・ラジオ「らじる★らじる」では聞き逃しサービスで
4月13日(火)午前1時まで視聴することができます。 https://www.nhk.or.jp/radio/ondemand/detail.html?p=0324_01
 
番組の最後に、
「小川さんは2014年に84歳でお亡くなりになりましたが、小川さんの桜を愛する心は、大学のゼミの教え子たちに受け継がれているということです」
というアンカーの松井治伸アナウンサーの言葉に胸が熱くなりました。
 
事前の情報では、もとの放送は2013年4月13日(日曜ではなく土曜)に放送とお伝えしましたが、 どうもその前週、4月7日(日)午後11時5分~(ラジオ第一)、翌午前0時5分~(FM)の放送だったようです。
(ラジオ深夜便の「ミッドナイトトーク」のコーナー)
つまり、小川先生と最後の花見をした翌日の深夜。
 
ソメイヨシノはおおかた散り、すっかり葉桜のところもありますが、桜はまだまだ楽しめます。
コロナ禍ですが、春を楽しみましょう! 桜を愛でましょう!

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2021年3月16日 (火)

◇小川和佑先生トークのラジオ再放送!

◇小川和佑先生のNHKラジオでのお話し、「泰平の世を桜花に願う」が再放送されます!

「小川ゼミ通信」Vol.45
小川和佑ゼミナールOB、OGの皆様へ

 みなさん、お元気ですか。春ですよ。
 コロナに翻弄される人の世においても、やはり桜は咲きますね。
 3月11日(東日本大震災から満10年の日)に広島で、翌日には福岡で、14日には東京で桜(ソメイヨシノ)の開花が発表されました。各地で観測史上最も早い開花を更新しているとか。

 そうです、桜といえば、もちろん小川先生です。
 平成25年(2013)4月6日の土曜日、14年ぶりに四ツ谷でお花見会を開きました。この年も開花が早く、ソメイヨシノは散っていたのですが、紀尾井町通りの八重桜はちょうど満開でした。
 これが和佑先生とご一緒した最後のお花見になったのですが、その翌週の4月13日(日)、NHKラジオで、「泰平の世を桜花に願う」が放送されたのでした。
 それが、このコロナ禍のなか、まさに「泰平の世を願い」再放送されます。

☆4月5日(月)深夜25時台=4月6日(火)午前1時台
「深夜便アーカイブス」のコーナーで再放送
NHKラジオ第一放送(NHK-FMでも)
ほか、インターネットの「NHKらじる★らじる」や「radiko(ラジコ)」でも視聴可
(むしろこちらの方が電波状況に左右されないで視聴できます)

〇番組ホームページの放送予定には、3月26日(金)の夕方ころに掲載予定
https://www4.nhk.or.jp/shinyabin/
(放送後一週間は、聞き逃しサービスもあります)

 以前は必死になって「エア・チェック」(死語?)しましたが、今は聴くチャンスが広がりました。
 ぜひ、お聞き逃しなく。あの懐かしいお声を再び!

 昨年、コロナで休業中に、「小川和佑先生と歩いた軽井沢文学散歩アルバム」の「信濃追分編」全9ページを完成させました。併せてご笑覧を。
http://nishimukou.my.coocan.jp/sanpo/shinano_oiwake01.htm

小川和佑ゼミナールOB会事務局:西山正義
「小川ゼミの部屋」http://nishimukou.my.coocan.jp/ogawazemi.htm


  この電子メールによる「小川ゼミ通信」は、平成12年(2000)3月13日午前3時19分に、その記念すべき「Vol.1」を配信しました。先生が70歳になられる年で、明大の「最終講義」を計画しはじめていた頃でした。
 それから18年、平成30年(2018)9月20日に配信した「小川和佑先生五回忌の命日に」で「Vol.41」を数えました。
 その後、メールでは配信しませんでしたが、昨年(令和2年に)「短説ブログ」やこのホームページに掲載した三回分、
・9月13日の「小川和佑先生の七回忌のご命日を控えて(附:『小川のせせらぎ』第2号〈編集後記〉」を「Vol.42」、
・9月20日の「七回忌のご命日に」を「Vol.43」、
・9月26日の「七回忌のご命日を過ぎて」を「Vol.44」とカウントし、
今回の配信を「Vol.45」と銘打ちました。

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2020年9月13日 (日)

小川和佑先生七回忌のご命日を控えて

 本日昼頃、私が編集した小川和佑ゼミナールOB会誌『小川のせせらぎ』の第2号が、亡き先生の奥様である小川節子様に無地届けられました。
 OB、OGのみなさんへは、一日早い9月11日金曜日に「ゆうメール」で発送しました。速達扱いではありませんが、早いところでは翌日の12日に届いたようです。
 先生の七回忌の一週間前に間に合いました。昨日あたりも九州地方は大雨だそうで、心配であります。
 先生の七回忌の法要は、親戚なども集めずに、奥様一人で執り行うとのことです。もちろん新型コロナウイルスの影響で。
 奥様へもみなさんへも届いたようですので、インターネット上でも告知します。以下に「編集後記」を転載します。
 もしまだ届いていない方や、最近音信不通になっている方は西山までご連絡ください。限定50部の手作り冊子で、必要部数しか制作していませんので、少しお待ちいただくことになりますが……。

 

『小川のせせらぎ』第2号〈編集後記〉

 

   小川和佑先生七回忌

 

 この九月二十日で、小川和佑先生が他界されて満六年になります。すなわち、仏教でいうところの七回忌にあたり、日本の多くの家庭で追善供養の法要が行われるのが慣例になっています。
 ところが今年は、ご周知のとおり新型コロナウイルス感染症が世界的に大流行し、高温多湿の季節になっても依然収まらず、現在も第二波といえるような猛威が広がっています。
 それで、小川家としても、七回忌に人を集めないことになりました。せめてお墓参りだけでもと思いますが、県外から宇都宮へ行くのは、今はまだ差し控えた方がよいでしょう。
 本当は、この冊子を御命日に墓前にお持ちしたいと思っていました。そしてOB会で集まり、みなさんにお渡ししたいと。しかしそれも今は難しいので郵送することにしました。

 

   第2号について

 

 今回も力まかせで作りました。第1号ではそうしたように、雑誌や新聞の初出や書籍の形で見てもらいたいという思いもありますが、月報をそのまま拡大コピーした『「地球」への回想』以外は、一語一語手打ちで入力しました。
 巻頭の『わが一九四五年』は、当初は抜粋のつもりが、ほぼ全文丸々写すことになりました。社会思想社の現代教養文庫の『青春の記録』三巻は、まったく特異なアンソロジーで、私が学生の頃はまだ新刊本の書店にも並んでいましたが、小川ゼミの中でも手に取ったことがある人はごくわずかのようです。今年は敗戦から七十五年の年。今、改めて読んでもらいたい一書です。現在では入手困難なゆえ、ここに打ち出しました。可能なら実際の本を手に取り、収録作品も読んでほしいです。

 

   小川ゼミOB会の運営について

 

 さて、みなさんにご相談というか、確認したいことがあります。
 私たちがここに「小川和佑ゼミナールOB会」と名乗っている会は、一応会則もありますが、もう長いこと組織的な「会」としての体裁を成していません。
 このOB会は、私が卒業した昭和六三年九月から準備され、翌平成元年七月に発足しました。そして、平成一三年(二〇〇一)一月に先生の「最終講義」を開催し、以後も、ゼミ合宿(というより、もはや学生がいないのでOB会合宿)や出版記念会などを開催してきました。
 平成二一年と二二年の最後二回の合宿や、最後の花見(平成二五年)は何人かで協力し合って企画しましたが、事務局の運営を組織的に行っていたのは最終講義の頃までです。
 その事務局は、発足当時から現在に至るまで、一貫して私が一手に引き受けています。それはやりたくてやっていることなので別にいいのですが、何が言いたいのかというと、今回この冊子を送るにしても、本当に送っていいものかどうか迷う人もいるということです。会員を明確に組織化できていないので。
 この会はOB会といいながらも、学校の同窓会とは性質が異なります。その学校を卒業していれば、本人の意思にかかわらず、たとえ消息不明でもその名簿から名前が削除されることはありません。しかしこの会は好きな者が集まっているだけです。
 ところが、その「好きな者」なのかどうか、よく分からない人もいるということです。この三十年の間に、次第に郵送物が届かなくなって、消息不明になってしまった人が数多くいます。一人ひとりこのOB会に〈オルグ〉してきた私としては、今でも皆の顔が思い浮かびます。一度でも合宿などに参加したことがある人は、ひと回り以上したの学年までみな覚えています。だから愛着もあるのですが、連絡先が分からなくなってしまってはどう仕様もありません。
 一方で、それは私の片思いで、学生時代に聞いた住所が実家だったり、その後一度も転居していないという理由だけで、今でも郵送物が届いているということもあるのではないか。
 合宿や花見を毎年のように開いていた頃は、しかもその案内を主に郵便で行っていたので、転居しても一年以内なら転送されて連絡がつくこともありましたが、間遠になると……。いや、去る者は去るで仕方ないのですが、意図せずにということもあるのではないか。
 何か矛盾することを言っているようですが、大学卒業以来、三十年以上みなさんに連絡を取り続けている私としては、どこかモヤモヤする気持ちがあるのです。要は、OB会の〈総会〉を開き、〈名簿〉を作る必要があるのですが、それがずっと出来ていないのが原因です。
 ですので、今回この冊子を送るのも、もはやゼミOB会としてというより、西山個人が知っている人に送るというのが実情です。
 何十年も付き合いが切れていたのに、ある日突然復活した例もあります。一般的な例ではなく、この会で実際に何度もあった話です。だから、住所が分かっている人には、私は今回も送り続けます。この声が届かない人には、何とかホームページに辿り着いてくれることを願います。
 われらが恩師和佑先生の「お師匠さん」である中村真一郎の『死の遍歴』という小説に、「仲間の解散は青春の終りを象徴する」という一節があります。そうしたことは遅くとも三十前後には訪れ、そうして人は否応なしに〈大人〉になっていくのですが、私はどうしてもそれが耐えられないようです。……小川先生、そしてみなさん!
     ――令和二年九月九日午前三時(西山正義)

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2018年9月20日 (木)

「小川ゼミ通信」Vol.41

小川和佑ゼミナールOB、OGの皆様
 
 ご無沙汰しております。みなさんいかがお過ごしでしょうか。  今年もまた9月20日が巡ってきました。早いもので、先生が他界されて満四年になります。  遺憾ながらお墓参りに行けませんが、心は宇都宮に飛んで、あらためて先生のご冥福をお祈りしたいと思います。
 
 さて、長年かかっていまだ完成していない『小川和佑先生著書目録』ですが、やっと昭和60年6月刊行の『百観音巡礼』まで来ました。
 が、そこでちょっとお休みし、「解題」で抜き書きしていたいわば「名言集」を、著書目録から独立させ、「小川和佑先生の言葉」として別に編集しはじめました。
 特に今年4月29日(先生のお誕生日)から連載している『わが一九四五年』は、社会思想社の教養文庫『青春の記録』シリーズの第一巻ですが、次代への先生の清冽なメッセージで、ぜひみなさんに読んでいただきたいと思います。
小川和佑先生著書目録
 
 また、個人的なことですが、今年4月に軽井沢~信濃追分を再訪してきました。
 それで、15年前の平成15年10月、明大リバティアカデミー講座のフィールドワークで行った「軽井沢文学ツアー」をウエブ上に再現した「小川和佑先生と歩く軽井沢」のページを大幅に増補しました。
小川ゼミの軽井沢文学散歩アルバム
 
 さらに、まだ未完成ですが、ゼミ合宿で泊まった信濃追分についても制作を開始しました。ご覧いただけると嬉しいです。
軽井沢文学散歩〈信濃追分編〉
 
 和佑先生と軽井沢に行ったことのない人も追体験していただければと思います。
 今年は酷暑の夏でしたが、急に秋めいてきました。これを送信したら、また先生の本を読み返そうと思います。
 
小川和佑ゼミナールOB会事務局:西山正義
小川ゼミの部屋

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2016年3月19日 (土)

『小川和佑先生を偲ぶ会』開催のご案内(書状版/更新版)

「小川ゼミ通信」Vol.36
メール版:平成28年2月17日/書状版:3月19日

 拝啓 春分の候、皆様いかがお過ごしでしょうか。
 今年も間もなく桜が開花します。季節が巡れば、毎年間違いなく花は咲くんですね。桜といえば、小川和佑先生です。
 平成26(2014)年9月20日、われらが恩師は帰らぬ人となりました。それから早いもので一年半が経ちます。今年は三回忌の年です。
 そこで、昨秋、一周忌の法要に集まったOB会の有志で、『小川和佑先生を偲ぶ会』を企画しました。
 先生の生誕記念日に合わせて、ゆかりの地で開催いたします。先生を偲び、また同じ門下の旧交を温めたく、多くのご参集をお待ち申し上げます。 敬白

【日 程】平成28(2016)年 4月29日(昭和の日/金)
〈小川和佑先生ご生誕86年記念日〉
【開 場】12時30分~
(会場設営)
【開 会】
午後1時~3時
【会 場】明治大学「紫紺館」4階会議室 
地図別紙
(駿河台校舎向かい側・昔の小川町校舎)
千代田区神田小川町3-22-14
【会 費】1万円
(同伴者:5,000円 大学生:3,000円 高校生以下:無料)
【形 式】立食
(紫紺館内の椿山荘よりケータリング)

【締 切】4月20日(水)までに出欠の連絡をお願いします。
※OB会名簿の確認も兼ねていますので、欠席の方も必ずご返信ください。

『小川和佑先生を偲ぶ会』
発起人:野本達哉・五十嵐正人・湯澤利明・西山葉子・藤井ゆか・森田芳徳・井本節山・山本太朗
事務局:西山正義

◆書状版には【二伸】があります。そこには少々内輪の話を記しました。全文をPDFでアップしました。「西向の山」のホームページの「小川ゼミ通信」からアクセスしてください。

※当日に向けて、15年ぶりにOB会名簿を作成します。
住所・電話・メールアドレスその他に変更がない場合でも必ずお知らせください。
※個人情報が気になる方は、お手数ですが返信用はがきを封筒に入れてご郵送ください。

◎4月9日(土)に、現地で会場担当者と打ち合わせをします。
10時半~明大紫紺館・校友課、11時~椿山荘
その後ランチしながら、式の詳細を詰めますので、都合のつく方はお集まりください。

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2016年3月 1日 (火)

@niftyの@homepage終了につきLaCoocanに移転

 とうとうお前もかという感じで、@niftyの接続会員向けホームページサービス「@homepage」が2016年9月29日(木)15時をもってサービスの提供を終了することになった。迂闊にもそれを知ったのは、2月22日に来たメールであったが、すでに1月13日に告知されていたようだ。しかし、老舗のプロバイダである@niftyの伝統ある「@homepage」が終了するというには、あまりにも簡単な告知である。
 結局、インターネットなどどいう新しい技術はそういうことなのだ。進歩は早いが廃れるのも早いというわけだ。いや、ネットに限らず、テクノロジーというものはそういうものなのだ。メーカーやサービス提供者に文句を言っても仕方がない。最初から利用規約に謳われているし……。が、やはり腑に落ちない。

 

 で、どうなるか。すでに提供されている有料の「@niftyホームページサービス(LaCoocan)」に一本化される。つまり無料(といってもプロバイダ料金は払っている)ではなく、有料になる。と思ったが、さすがにそれは出来なかったようだ。@nifty側としては本当はすべて有料にしたかったのだろう。しかし、そんなことをしたら(大袈裟に言うと)暴動が起きる。少なくとも“炎上”するだろう。
 そこで、新たに「ミニ」という特別なプランを設置し、従来の「@homepage」ユーザーは移転の手続きをとれば、そのまま無料で利用できることにした。
 私としてはそれでひとまず胸を撫で下ろしたわけだが、ホームページ(サイト)ではある意味一番重要な所在地を示すURLが変更になるのは痛い。それで幾多の(本当に幾多の貴重な)ウェブページが消滅したりリンク切れになったことか。

 

 ホームページは“更新”が命みたいな捉えられ方があるが、内容や性質によってはもうこれで“完成”というようなページもあり、あとはアーカイブとして“いつでも”“いつまでも”参照・閲覧できるようにしてもらいたいものもある。いちいち個人のコンピューター内に保存していられないから、インターネットなどという便利なものがあるのではないか。「参考文献」としてリンクを貼っても、ページそのものが消滅しなくても、すぐにURLが変わったりしたら話にならないのである。
(一方で、誹謗中傷とか、プライバシーや人権侵害など、削除されるべきものや、“忘れられる権利”というのも問題になってきてはいるが、それはまた別の問題である。また、これは今後もっと考えられなければいけない問題なのだが、製作者が死亡した場合どうなるのか。削除したくても出来ないような事態が発生することもあるのか。有料のプランなら支払いが滞れば削除されるだろうが、無料のものは? 遺族が残したいと思えば問題ないが、そうでない場合、パスワードが分からなかったら……。というようなことも、差し当たり別の問題として)

 

 今回終了になる「@homepage」が始まったのは1999年であるが、パソコン(ワープロ)通信時代からの老舗プロバイダである@niftyのホームページサービスは、それ以前の、ニフティサーブや富士通のinfowebからの移行ユーザーを含めると、個人でホームページが持てるようになった黎明期からのページが存在するのだ。つまり結構コアなページがあるということだ。
 なかにはもうしばらく更新されていないページもあるだろう。いや、多数あるだろう。@niftyとしては、それらを淘汰したいのだろう。@homepageからLaCoocanへの移行は、ホームページを作れるような人なら実に簡単にできるのだが、しばらく更新していない人は、今回終了するということすら知らないままかもしれないし、知っていても面倒で更新(移行)しないかもしれない。それで消滅してもいいようなページなら、それはそれでいいのだが、今言ったように「更新する必要のないページ」というものもあるのだ。それらが消えていくことになるのは、実に勿体ないと思う。
 しかし、そもそもインターネットなどという仕組みそのものも、永続的なものなのかどうかも分からないのだから、仕方がないとしか言いようがないのだが……。

 

 さて、それはそうと、@niftyで接続契約をしていれば、引き続き無料(プロバイダ料金のみで、ページに広告が入ることなく)利用できるというのだから、移行しない手はない。
 そこで一番の問題になるのが、アカウント名をどうするかということ。そのまま移行するか変更するか。@homepageは選べなかったが、LaCoocanではドメイン名も36種類の中から選べる。ただし、ショート・バージョンはなんでこんな名前にしたかというようなつまらないものしかないが。
 一週間悩んだ末、長年使用してきた「masayoko」を変えることにした。サイトの名前に由来した、@niftytのユーザー名にもしている「nishimukou」に変更することにした。
 この「西向の山」の英字表記も、「nishimukou」にするのか、「nishi-mukou」とハイフォンを入れるか、あるいは「nisimuko」とURLとして簡潔にするか悩んだが、すでに@niftytのユーザー名にしている表記に統一した。
 文藝サイトとして「芸術」の表記を入れる「masayoko.art.coocan」というのも捨て難かったのだが、サブ・ドメイン名の「my」を英語の所有格の「マイ」ではなく、「masa&yoko」のイニシャル「エム・ワイ」と見立てることにして、自分を納得させた。たぶん第三者にはどうでもいいことだろうが。

 

 それともう一つ。「西向の山」という創作を中心とした文藝関係のサイトに、実は全然関係ないほかの趣味のCGIプログラムを組み込んでいて、それは私が所属するソフトボールチームのスコアブックをウェブ上で管理しているものなのだが、それをチーム内で公開しているためURLがバレバレなのだ。別に「西向の山」のことを秘密にしているわけではないので問題はないのだが、URL的に「art」とつくより、漠然とした「my」の方がいいかなと。
 そして、移行で問題になるのは、その肝心のCGIプログラムがちゃんと動いて、従来通り使えるのかということ。本当は、ソフトボールチームのホームページで使っているサーバーでCGIが使えれば、そちらにアップすればいい問題なのだが、無料のサーバーではCGIが使えないか制限が多かったり、私の知識や技術も足りず……。

 

 で、いつ移転するか。日にちにこだわるか。とも思ったが、万が一希望のURLが取れないと馬鹿みたいなので、善は急げとばかりに、2月28日(日)の0時45分に移行の登録を申請し、無事受理された。サイトのデータ移行も、チェックを入れただけで何の苦も無くできた。
 ただし、先に書いたCGIはちょっとした細工が必要で、そのやり方が最初はわからずに焦ったが、結果的にはアクセス権の変更のみでうまくいった。ホームページのデータは簡単に移植できることが分かっていたからいいのだが、このCGIプログラムのデータは相当な労力を費やして入力しているものなので、使えなかったら本当に涙ものなのだ。

 

 結果、現時点で、わがサイト、短説と小説「西向の山」は、
@niftyの@homepage版:
http://homepage3.nifty.com/masayoko/
同じく@niftyのLaCoocan版:
http://nishimukou.my.coocan.jp/
さらに、Yahoo!Japanのgeocities版(こちらには広告が付く):
http://www.geocities.jp/nishimukohnoyama/の三つが存在することになる。
 こんなあってもなくてもいいような個人のサイトで阿保みたいなことだが、@homepage版は今年の9月29日15時で消滅する。その前に、LaCoocan版への移転通知ページに変更することになるが、それも最長で2018年3月29日(木)15時で終了する。
 これからサイト内でリンクの修正をしなければならない。あーあ、こういうことが一番面倒なのだ。

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2016年2月17日 (水)

『小川和佑先生を偲ぶ会』のご案内

「小川ゼミ通信」Vol.36
小川和佑ゼミナールOB会の皆様(全員にアドレス公開の形で送ります。ご了承ください)

拝啓 残寒の候 皆様いかがお過ごしでしょうか。
春はまだ遠きという感じですが、やがて桜は今年も間違いなく咲くでしょう。
桜といえば小川和佑先生です。平成26年9月20日にお亡くなりになってから、
早いもので一年半が経とうとしています。今年は三回忌の年です。

そこで、昨年の秋、一周忌の法要に集まったOB,OGを中心に、
『小川和佑先生を偲ぶ会』を企画しました。
先生のお誕生日に合わせて、ゆかりの地で開催いたします。
先生を偲び、また同じ門下の旧交を温めたく、多くのご参集をお待ち申し上げます。

【日程】4月29日(昭和の日/金)ご存命なら86歳のお誕生日
【開会】午後1時
【会場】明治大学「紫紺館」4階会議室

(昔の小川町校舎)千代田区神田小川町3-22-14
http://www.meiji.ac.jp/koyuka/shikonkan/copy_of_shikon.html
【会費】1万円
【形式】立食
(紫紺館内の椿山荘よりケータリング)
(先生の奥様をはじめご遺族もご臨席される予定です)

◆4月8日(金)までに出欠の連絡をお願いします。
※OB会名簿の確認も兼ねていますので、欠席の方も必ずご返信ください。

◎4/9(土)に現地で会場担当者と打ち合わせをします。
10時半~明大紫紺館・校友課、11時~椿山荘
その後ランチしながら、式の詳細を詰めますので、都合のつく方はお集まりください。

この案内は、メールで先行して送りますが、書面でも郵送する予定です。
当日に向けて、11年ぶりにOB会名簿を更新します。
住所・電話・メールアドレスに変更がありましたら、必ずお知らせください。宜しくお願いします。
それでは、当日またお会いできますことを願いつつ。

『小川和佑先生を偲ぶ会』
発起人:野本達哉・五十嵐正人・湯澤利明・向山葉子・藤井ゆか・森田芳徳・井本節山・山本太朗
事務局:西山正義

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2015年3月27日 (金)

小川和佑先生出演の桜のテレビ、さらなる再放送

 みなさーん、25日の放送はご覧になったでしょうか。ほんの一瞬ではありますが、小川和佑先生が生きてお話しされている姿がリアルタイムのテレビに映し出されましたね。ちょうど東京で開花宣言が出た日でした。
 これから満開を迎えるわけですが、それに合わせて、さらなる再放送が決定しました。

◆4月1日(水)14:05~14:48
NHKテレビ総合【歴史秘話ヒストリア】
「桜の木に恋して~日本人と桜の物語~」

 何度でも、桜、さくら……
 今年の桜は、そう、先生が見ることができなかった桜です。
 今年の桜はそういう桜なんですよね。

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2015年3月11日 (水)

小川和佑先生出演テレビ再放送

「小川ゼミ通信」Vol.34
小川和佑ゼミナールOB会(ならびに関係)の皆様

 昨日は東京大空襲から70年、本日は東日本大震災から4年、あらためて、非業の死を遂げられた幾多の方々のご霊前に、鎮魂の祈りを捧げます。
 そして、われらが恩師・小川和佑先生がお亡くなりになって、はや半年が経とうとしています。
 その喪失感は、思っていた以上で、いかに先生が大きな存在であったかあらためて思い知らされました。

 それでも春は来、桜は咲きます。
 昨日、先生の奥様からお葉書をいただき、先生が出演したテレビが再放送されるというので、急ぎお知らせ致します。

◆3月25日(水)22:00~22:43
NHKテレビ総合【歴史秘話ヒストリア】
「桜の木に恋して~日本人と桜の物語~」

 4年前、震災直後の平成23年4月6日に放送されたものです。
(たしか、震災で少し延期されてこの日になったのではなかったか)。
 先生が登場するのは、番組全体からすればほんの僅かなものですが、生きてお話しされている姿が映し出される筈です。
 4年前見過ごした方はもちろん、ご覧になった方も、やがてまた桜が咲く季節に、小川和佑先生を再び……

西山正義 拝

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2014年9月23日 (火)

■小川和佑先生が……■

とうとうこの日が来てしまいました。
大変つらいことですが、やはりインターネット上にも告知致します。

平成26年9月20日の午後2時50分、われらが恩師、
小川和佑先生が永遠の眠りに就かれました。

御葬儀の日程・会場をお知らせ致します。

■お通夜
9月23日(火/秋分の日)午後5時~
■葬儀・告別式
9月24日(水)午前10時30分~
(出棺:11時30分)

会場はいずれも『栃の葉 戸祭ホール』です。
住所:栃木県宇都宮市八幡台1-28
TEL:028-650-5166
http://sougi.bestnet.ne.jp/tochinohato-utsunomiya/map.html
JR宇都宮駅西口よりタクシー15分(駐車場350台)

喪主は、奥様であられる小川節子様です。

小川和佑先生は、昭和5(1930)年4月29日のお生まれ。
庚午。今年は年男でした。
享年は満年齢で84歳。
この夏頃から体調を崩され、療養中でしたが、奥様、娘さんご夫婦、それにお嫁さんやお孫さん、教え子二名とさらに孫弟子に看取られながら、静かに息を引き取りました。

謹んでご冥福をお祈り申し上げます。――合掌

先生は第一に物書きです。書かれたものは我々に残されています。
もう一度、何度でも、読みましょう。それが一番の供養でしょう。

これから宇都宮に向かいます。

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