文学

2020年9月20日 (日)

小川和佑先生七回忌のご命日に

 本日は、明大文学部のわが恩師で、文芸評論家・小川和佑先生の七回忌のご命日です。と同時に、個人的に「創作記念日」と称している日です。
 今年はコロナでお墓参りにも行けませんので、きょうの命日に向けて、前の記事の通り、小川和佑ゼミナールOB会誌として『小川のせせらぎ』と題する冊子の第2号を編集・制作し、OB,OGなどに配付しました。
 すかさずさまざまな反響があり、メールや手紙、ハガキ、ブログのコメント欄などでやり取りをしました。先週の金曜日(9/11)の午前中に新宿のコピー屋で印刷・製本し、家に飛んで帰り、すぐに封入し、金曜日の夕方便で発送しました。早いところでは翌日の土曜日に着いたようで、以後、この一週間、ずっとみなさんから送られて来た反響に応えていた日々が続いていました。
 個別にはさまざまな内容が含まれているので、ここでは繰り返しませんが、それが何よりも楽しかったです。小川先生、みなさん、ありがとうございます。
 きょうからまた普段の日常が始まります。その前に連休ですが、地元のソフトボールの秋季大会、きょうが初戦です。何かホームランでもかっ飛ばせそうな気分です。
 繰り返しますが、小川先生の法要は、教え子のみならず、親戚や東京に住んでいる親族も集めずに、奥様お一人で執り行うということです。もちろんコロナのせいです。
 宇都宮に向かって合掌いたします。

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2020年9月13日 (日)

小川和佑先生七回忌のご命日を控えて

 本日昼頃、私が編集した小川和佑ゼミナールOB会誌『小川のせせらぎ』の第2号が、亡き先生の奥様である小川節子様に無地届けられました。
 OB、OGのみなさんへは、一日早い9月11日金曜日に「ゆうメール」で発送しました。速達扱いではありませんが、早いところでは翌日の12日に届いたようです。
 先生の七回忌の一週間前に間に合いました。昨日あたりも九州地方は大雨だそうで、心配であります。
 先生の七回忌の法要は、親戚なども集めずに、奥様一人で執り行うとのことです。もちろん新型コロナウイルスの影響で。
 奥様へもみなさんへも届いたようですので、インターネット上でも告知します。以下に「編集後記」を転載します。
 もしまだ届いていない方や、最近音信不通になっている方は西山までご連絡ください。限定50部の手作り冊子で、必要部数しか制作していませんので、少しお待ちいただくことになりますが……。

 

『小川のせせらぎ』第2号〈編集後記〉

 

   小川和佑先生七回忌

 

 この九月二十日で、小川和佑先生が他界されて満六年になります。すなわち、仏教でいうところの七回忌にあたり、日本の多くの家庭で追善供養の法要が行われるのが慣例になっています。
 ところが今年は、ご周知のとおり新型コロナウイルス感染症が世界的に大流行し、高温多湿の季節になっても依然収まらず、現在も第二波といえるような猛威が広がっています。
 それで、小川家としても、七回忌に人を集めないことになりました。せめてお墓参りだけでもと思いますが、県外から宇都宮へ行くのは、今はまだ差し控えた方がよいでしょう。
 本当は、この冊子を御命日に墓前にお持ちしたいと思っていました。そしてOB会で集まり、みなさんにお渡ししたいと。しかしそれも今は難しいので郵送することにしました。

 

   第2号について

 

 今回も力まかせで作りました。第1号ではそうしたように、雑誌や新聞の初出や書籍の形で見てもらいたいという思いもありますが、月報をそのまま拡大コピーした『「地球」への回想』以外は、一語一語手打ちで入力しました。
 巻頭の『わが一九四五年』は、当初は抜粋のつもりが、ほぼ全文丸々写すことになりました。社会思想社の現代教養文庫の『青春の記録』三巻は、まったく特異なアンソロジーで、私が学生の頃はまだ新刊本の書店にも並んでいましたが、小川ゼミの中でも手に取ったことがある人はごくわずかのようです。今年は敗戦から七十五年の年。今、改めて読んでもらいたい一書です。現在では入手困難なゆえ、ここに打ち出しました。可能なら実際の本を手に取り、収録作品も読んでほしいです。

 

   小川ゼミOB会の運営について

 

 さて、みなさんにご相談というか、確認したいことがあります。
 私たちがここに「小川和佑ゼミナールOB会」と名乗っている会は、一応会則もありますが、もう長いこと組織的な「会」としての体裁を成していません。
 このOB会は、私が卒業した昭和六三年九月から準備され、翌平成元年七月に発足しました。そして、平成一三年(二〇〇一)一月に先生の「最終講義」を開催し、以後も、ゼミ合宿(というより、もはや学生がいないのでOB会合宿)や出版記念会などを開催してきました。
 平成二一年と二二年の最後二回の合宿や、最後の花見(平成二五年)は何人かで協力し合って企画しましたが、事務局の運営を組織的に行っていたのは最終講義の頃までです。
 その事務局は、発足当時から現在に至るまで、一貫して私が一手に引き受けています。それはやりたくてやっていることなので別にいいのですが、何が言いたいのかというと、今回この冊子を送るにしても、本当に送っていいものかどうか迷う人もいるということです。会員を明確に組織化できていないので。
 この会はOB会といいながらも、学校の同窓会とは性質が異なります。その学校を卒業していれば、本人の意思にかかわらず、たとえ消息不明でもその名簿から名前が削除されることはありません。しかしこの会は好きな者が集まっているだけです。
 ところが、その「好きな者」なのかどうか、よく分からない人もいるということです。この三十年の間に、次第に郵送物が届かなくなって、消息不明になってしまった人が数多くいます。一人ひとりこのOB会に〈オルグ〉してきた私としては、今でも皆の顔が思い浮かびます。一度でも合宿などに参加したことがある人は、ひと回り以上したの学年までみな覚えています。だから愛着もあるのですが、連絡先が分からなくなってしまってはどう仕様もありません。
 一方で、それは私の片思いで、学生時代に聞いた住所が実家だったり、その後一度も転居していないという理由だけで、今でも郵送物が届いているということもあるのではないか。
 合宿や花見を毎年のように開いていた頃は、しかもその案内を主に郵便で行っていたので、転居しても一年以内なら転送されて連絡がつくこともありましたが、間遠になると……。いや、去る者は去るで仕方ないのですが、意図せずにということもあるのではないか。
 何か矛盾することを言っているようですが、大学卒業以来、三十年以上みなさんに連絡を取り続けている私としては、どこかモヤモヤする気持ちがあるのです。要は、OB会の〈総会〉を開き、〈名簿〉を作る必要があるのですが、それがずっと出来ていないのが原因です。
 ですので、今回この冊子を送るのも、もはやゼミOB会としてというより、西山個人が知っている人に送るというのが実情です。
 何十年も付き合いが切れていたのに、ある日突然復活した例もあります。一般的な例ではなく、この会で実際に何度もあった話です。だから、住所が分かっている人には、私は今回も送り続けます。この声が届かない人には、何とかホームページに辿り着いてくれることを願います。
 われらが恩師和佑先生の「お師匠さん」である中村真一郎の『死の遍歴』という小説に、「仲間の解散は青春の終りを象徴する」という一節があります。そうしたことは遅くとも三十前後には訪れ、そうして人は否応なしに〈大人〉になっていくのですが、私はどうしてもそれが耐えられないようです。……小川先生、そしてみなさん!
     ――令和二年九月九日午前三時(西山正義)

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2019年2月 9日 (土)

寒い土曜日の午後に詩を

 土曜日の午後、東京も大雪になるかもという予報でしたが、今のところなんとか雪にも雨にもならず持ちこたえているという空模様、一言、ただただ寒い。凍てつく寒さですな。家の掃除とか、書類整理とか、何もする気になりません。空は明るいので、今のうちに外で体操し、ウォーキングでもすればいいのでしょうが……。妻は、所属する朗読の会の先生が司会をするというある講演会に出かけていきました。
 そんなわけで、ストーブの前で猫と一緒に横になりながら、つれづれに開いた本が『日本の詩歌24』(昭和51年3月・中公文庫)でした。(BGMはビートルズに変更)
 この巻には、丸山薫・田中冬二・立原道造・田中克己・蔵原伸二郎が収録されています。私にとっては黄金の巻ですね。詩のアンソロジーはそれこそ枚挙に暇がないほどたくさんありますが、中央公論社の元は『日本の歴史』や『世界の歴史』などと同じ造本の箱入りの単行本で出たこのシリーズは、平成が終わろうとしている現在でも質・量ともに最良のアンソロジーといえますね。
 ついでに書き添えておくと、編集委員は伊藤信吉・伊藤整・井上靖・山本健吉。この巻の「詩人の肖像」は大岡信。「鑑賞」は坂本越郎。年譜付。立原道造と棟方志功のカットが入ります。
 その104頁に栞が挟んであって、それは単に以前の読み挿しを意味してあったのですが、そこに掲載されていた詩をあらためて読んで、心が打ち震えました。

    くずの花     田中冬二

  ぢぢいと ばばあが
  だまつて 湯にはひつてゐる
  山の湯のくずの花
  山の湯のくずの花

                    黒薙温泉

  何という詩情であろう。ただこれだけの言葉なのに。言ってみれば、ある情景をそのまま叙述しただけのようにもみえるが、なんと深い人生がそこにあることか。
「この無念無想の静寂境をとらえるため、省略を重ねて、この形にするまでには、作者は苦吟数年を要したという。けだし作者にとって会心の作」とは坂本越郎氏の鑑賞。
 初出は、昭和3年『パンテオン』第四号で、田中冬二の第一詩集『青い夜道』(昭和4年12月・第一書房)に初収録されました。
 はじめて読んだ二十歳そこそこのころは、その良さがたとえ分かったとしても頭で理性的にしか理解していなかったでしょうね。自分自身がまさにこの「ぢぢいと ばばあ」になって、しみじみと心に沁み込んできたというわけです。
 そんなことを書いているうちに、やはり雪が降ってきました。降り続けば積もりそうな気配の雪です。明日ソフトボールの練習があるのですが……。

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2018年11月16日 (金)

『戦後詩大系』全四巻(本体&函および月報)

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三一書房版『戦後詩大系』収録詩人の年齢

 最高齢は明治一六(一八八三)年生まれの高村光太郎で、当時すでに故人であったが、存命なら八三歳。高村光太郎は戦後評価が二分しており、〝戦後詩〟のアンソロジーに彼を採録しているのは本書編集者たちの一つの見識を示しているといえる。
 次いで高齢なのが、明治二七(一八九四)年生まれの西脇順三郎、明治二八(一八九五)の金子光晴、明治三一(一八九八)の笹沢美明、中野秀人、吉田一穂、坪井繁治、明治三三(一九〇〇)の北川冬彦、三好達治、岡崎清一郎、明治三四(一九〇一)年の村野四郎。三好達治は故人であったが、北川冬彦や村野四郎は刊行当時七〇歳である。
 いや上よりも若い方だろう。一番若いのはだれか。昭和一七(一九四二)年五月三日生まれの郷原宏。「長帽子」の詩人。刊行当時二八歳であった。今となっては、一番若くても戦争中の生まれなのだった。
 次に若いのは、昭和一五(一九四○)年生まれの会田千衣子、古川史子、藤森安和、昭和一四(一九三九)年の長田弘、岡田隆彦、吉行理恵、石井藤雄、吉増剛造。このあたりが三○歳になったばかりの詩人たちだ。
 それに次いで若いのが、昭和一二(一九三七)年生まれの仁科理、鈴木孝、中野妙子、昭和一一(一九三六)年の寺山修司、水野隆、そして昭和一○(一九三五)年の鈴木志郎康と、本書では生年月日が伏せられているが芦原修二が同い年である。ここまでが三五歳で、当時の最も若い新進気鋭である。
 個人的なことを記すと、私の父は昭和一二年、母は一四年の生まれなので、私からすればちょうど親の世代ということになる。
 ザ・ビートルズのジョン・レノンとリンゴ・スターは日本風にいえば昭和一五年、ポール・マッカートニーは昭和一七年、ジョージ・ハリスンは昭和一八年の生まれで、同世代というわけだ。
 ジョンや寺山修司など若くして死んだ人はともかく、長く生きた人でも平成も終わろうとしている現在では八○代になり、私の父も七九で亡くなり、芦原修二さんは生きているのやら死んでしまったのかすら分からない。存命なら八三歳。本書の編者の一人小川和佑先生が亡くなったのが四年前で八四歳であった。
 一方、かのポール・マッカートニーは、質・量ともに充実したオリジナルのスタジオ録音盤ニュー・アルバムを引っ提げて、つい最近(二週間ほど前)も日本公演でその健在ぶりを示した。これはもう本当に凄いことだ。
 話がそれたが、この『戦後詩大系』に収録された二四一名の詩人のうち一体何名が存命なのだろうか。
 しかし、それでも、こうして「本」として残っていれば、半世紀近く経っても、誰かが手に取って大事に読むこともあるわけだ。

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2018年11月 1日 (木)

三一書房版『戦後詩大系』全四巻収録詩人

  Ⅰ ア~オ
阿部弘一・安藤一郎・安東次男・安宅夏夫・安西均・会田千衣子・会田綱雄・赤木三郎・足立巻一・秋谷豊・秋村宏・芦原修二・天沢退二郎・天彦五男・天野忠・鮎川信夫・荒川法勝・井上俊夫・井上靖・伊藤桂一・伊藤海彦・石垣りん・石井藤雄・石原吉郎・石川逸子・乾武俊・飯島耕一・磯村英樹・犬塚堯・茨木のり子・入沢康夫・和泉克雄・内山登美子・上杉浩子・江森国友・餌取定三・小山正孝・荻原恵子・及川均・岡崎清一郎・岡崎澄衛・岡田隆彦・岡田兆功・小川和佑・小野十三郎・小田久郎・大崎二郎・大滝清雄・大野純・大野新・大岡信・長田弘(五二名)

  Ⅱ カ~ス
香川紘子・河邨文一郎・加藤郁乎・風山瑕生・角田清文・片岡幹雄・片岡文雄・片桐ユズル・片瀬博子・金丸桝一・金井直・金子光晴・鎌田喜八・唐川富夫・金沢星子・上林猷夫・川崎洋・木島始・木原孝一・木村嘉長・菊地貞三・岸田衿子・北村太郎・北川冬彦・君本昌久・清岡卓行・許南麒・草野心平・久坂葉子・窪田般弥・倉橋健一・栗原まさ子・黒田喜夫・黒田三郎・慶光院芙沙子・小海永二・小松郁子・小出ふみ子・高良留美子・郷原宏・嵯峨信之・佐川英三・佐藤憲・斎藤庸一・斎藤怘・桜井勝美・坂本明子・笹原常与・笹沢美明・澤村光博・島崎曙海・嶋岡晨・渋沢孝輔・清水俊彦・清水高範・柴田元勇・十国修・生野幸吉・城侑・白石かずこ・新川和江・新藤千恵・新藤凉子・諏訪優・菅原克己・菅谷規矩夫・鈴木志郎康・鈴木孝・鈴木正和(六九名)

  Ⅲ ス~ハ
進一男・関口篤・関根弘・宗左近・高田敏子・高村光太郎・高野喜久雄・高内壮介・高見順・高橋睦郎・竹川弘太郎・武田文章・武村志保・財部鳥子・滝口雅子・田村昌由・田村隆一・谷川雁・谷川俊太郎・知念栄喜・辻井喬・粒来哲蔵・鶴岡冬一・鶴岡善久・坪井繁治・寺門仁・寺山修司・土井大助・土橋治重・富岡多恵子・殿岡辰雄・殿内芳樹・友竹辰・鳥見迅彦・徳永民平・峠三吉・那珂太郎・中江俊夫・中桐雅夫・中野秀人・中野鈴子・中野妙子・中野嘉一・中平耀・中村千尾・中村真一郎・中村稔・中村隆子・永井善次郎・永瀬清子・永島卓・長島三芳・長尾辰夫・難波律郎・西一知・西垣脩・西森茂・西脇順三郎・新国誠一・仁科理・野間宏・野村英夫・原民喜・原条あき子・花田英三(六五名)

  Ⅳ ハ~ワ
林嗣夫・長谷川龍生・浜田知章・平井照敏・平林俊彦・平光善久・福士一男・福永武彦・富士正晴・藤富保男・藤森安和・古川史子・堀内幸枝・堀川正美・堀田善衛・堀場清子・牧章造・牧羊子・松田幸雄・松永伍一・丸山豊・三木卓・三木昇・三谷晃一・三井ふたばこ・三好達治・三好豊一郎・水尾比呂志・水野隆・水上文雄・南川周三・港野喜代子・宮崎健三・村岡空・村田正夫・村野四郎・牟礼慶子・森崎和江・安水稔和・梁瀬和男・山口洋子・山崎栄治・山田今次・山田正弘・山本太郎・吉岡実・吉田一穂・吉野弘・吉原幸子・吉増剛造・吉本隆明・吉行理恵・鷲巣繁男・渡辺武信・和田徹三(五五名)
(Ⅰ~Ⅳ・合計二四一詩人)

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2018年10月30日 (火)

三一書房版『戦後詩大系』全四巻収録詩人(序)

 今年1月に、昭和45年9月から刊行開始された伝説の書籍と言っていい三一書房版の『戦後詩大系』全四巻を、しかも総革張りの限定三百部特装版を手に入れたという話を書いた。
 このエポックメイキングな書籍の編者は、嶋岡晨・大野順一・小川和佑の三人で、三人とも私にとっては明治大学文学部の大先輩であるが、当時まだ四十歳になるかならないぐらいの若き新進気鋭の詩人・評論家である。と、これは現在からみての感慨で、当時は既に「中堅」の域に達していたのかもしれない。
 折り込まれている三一書房の当時の新刊案内のトップにこうある。

 既成の評価に盲従することなく、ひろく戦後二十五年の詩の世界を展望する。
 二三〇名余りの詩人の代表作を、ほぼ平等のページ数に編集、事典的形式をとる。
 幸運なひとつかみの詩人たちの詩業に約束された拍手を送るせせこましさを捨て、埋もれたおおくの才能に惜しまずライトを当てる。
 詩人の略歴、年譜を付して、詩集発行の年月日や出版社などがわかるようにした。
 新しい視点から書き下ろした戦後詩史を付して、幅広く詩人の活動の跡をたどる。
 戦後詩史年表を最終巻に収録した。

 第一巻の冒頭に、編者を代表して嶋岡晨氏が「道標(みちしるべ)」と題した巻頭言を書いている。編集の経緯や意図についで、編集の基本的な方針が記されている。全文抜き出したいところだが、それは省略する。しかし、せめて、収録されている全詩人の名前を列挙してみたい。
 刊行から48年の月日が経ち、つまりやがて半世紀を向かえるわけで、本書も歴史の彼方に忘れ去られているわけだが、今この場を借りて、当時はまだ存在していなかったインターネットという世界に、せめて名前だけでも写し採っておくことは無駄ではないだろう(と信じたい)。

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2018年9月 5日 (水)

四城亜儀という詩人・小説家

 私が作成している『小川和佑先生著書目録』に、本編の著書目録を一時休んで、昨年10月から「小川和佑先生の言葉」として、その著書からみなさんにぜひ読んでもらいたい文言を抜粋して転載していますが、4月29日の先生の生誕記念日から『わが一九四五年 ――青春の記録1』(昭和50年9月・現代教養文庫)を写していました。当初は抜粋の予定でしたが、ほぼ丸写しに書き出すことになりました。
 それで本日、最終章の「5 問うべき戦後とはなにか ――持続すべきもの」の後半をアップしました。そこでは四城亜儀というちょっと謎めいた作家の小説「帰ろう愛の天使たち」が取り上げられています。彼(または彼女)は、当時も今も全く無名の同人雑誌作家で、私も本書で初めて知ったのですが、やはり小川先生経由で別に知った芦原修二氏を通じて、芦原さんがかつて主宰していた同人誌『海とユリ』で別の作品を読み(いや、あるいはこちらを先に読んだのだったか)、さらに私が学生の時に芦原さんが創始し、私も参加した『短説』でも、四城亜儀さんは短説は書きませんでしたし積極的に参加したわけではありませんが、昔からの芦原さんとの関係から『短説』の機関紙にも少し関わっていました。
 私はもちろんこの小説に魅せられたことが第一ですが、面識は全くないのですが、少し近しい文学的機縁にいたことから、知り合いに対するような敬愛の念を、一方的に持っていました。
 私がホームページを始めた2002年とほぼ同じ頃に、四城亜儀さんもホームページを始め、その頃一回だけ個人的な交流もありました。その後、彼女(彼は実は彼ではなく、彼女なのでした)のサイトは、メインのホームページを中心にいくつものブログ(それぞれのテーマ別にブログが立ち上がっている)で構成された壮大な構想のサイトになっています。相当につぶさに閲覧している私でも全貌はとても読み切れていません。
 それで時々訪問していたわけですが、実は数年前から、もう末期の癌であることが告白されていました。2014年頃から入院、手術が繰り返され、2015年には相当悪化していたようです。それでもブログが更新されていました。しかし2016年4月以降、ブログも更新されなくなりました。
 そしていくつもあるブログの一つ『TEL QUEL JAPON』の2018/03/17(土) 21:32:56の記事のタイトルに「利用してください」とあり、「このサイトの主は他界しましたが、サイトの価値は永遠です。」とありました。
 四城亜儀さんについてはまた別に語りたいと思います。今はただただ故人の
ご冥福をお祈りするばかりです。――合掌

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2018年1月18日 (木)

三一書房版『戦後詩大系』全四巻を手に入れる(その二)

 さて、肝心の内容であるが、Ⅰの巻頭には、編者代表として嶋岡晨氏の「道標(みちしるべ)」と題された文があり、編集の経緯や意図、方針、凡例などが記されている。それを読んだだけでもエポックメイキングであったことがわかる。
 詩人は五十音順に配列されている。各人の分量はほぼ均等である。
 Ⅰは「ア~オ」五二名。五八一頁。
 Ⅱは「カ~ス」六九名。六二五頁。
 Ⅲは「ス~ハ」六五名。六二四頁。
 Ⅳは「ハ~ワ」五五名。六五六頁。
 合計二四一名。
 Ⅳの巻末には、
○大野順一氏の「戦後詩史序説」(副題・ひとつの思想史的あとづけの試み)と、
○嶋岡晨氏の「戦後詩の展望」(副題――詩壇略地図――)の、
それだけで相当読み応えのある二つの論考があり、これまた例によって大変な労作の、
○小川和佑編「戦後詩史年表」
がある。この年表は凡例を含めて六〇一頁から六五六頁まで及ぶ。そして最後に、
○大野順一氏作成の「戦後の主要詩誌の消長(一九四五~一九六五)」
が折り畳まれている。ここには四一の詩誌の発行年月が棒グラフで示されていて、非常にわかりやすく展望できる。年表やこうした一覧表は、作ってみればわからが、物凄い労力を必要とする。本当に大変な労作なのだ。
 もう一つ私にとって貴重だったのは、各巻に付録としてついていた月報である。私が以前から持っていた第一巻には月報が抜け落ちていた。
 
 月報1(1970・9)
○宗左近「戦後詩とわたし」
○嶋岡晨「夢の周辺」
 
 月報2(1970・11)
○新川和江「戦後詩と私」
○《同人詩誌の編集後記》
(「詩研究」「純粋詩」「FOU」より)
○S・S生「詩神と酒神の棲む所」
○詩友こぼれ話
(①村松定孝 ②「マチネ・ポエティック」 ③「ゆうとぴあ」、秋谷豊)
 
 月報3(1970・12)
○土橋治重「戦後詩とわたし」
○《同人詩誌の編集後記》(その二)
(「荒地」「列島」より)
○小川和佑「『地球』への回想」
○《編集者の言葉と略歴》
(大野順一〈筆名大野純〉・嶋岡晨)
 
 月報4(1971・1)
○片岡文雄「わが薄明の時代」
○小川和佑「『年表』作製の憂鬱」
○嶋岡晨「編集を終えて」
○『戦後詩大系』第二巻訂正表
 
 なかでも私にとって今回最大の堀大物は、小川和佑先生の「『地球』への回想」である。『小川のせせらぎ』第二号ではそのままコピーして転載しようと思う。
 それにしても、月報には三人の編集者の近影が載っているのだが、みな若々しい。それもそのはずだ。この時、三人ともまだ四十歳になるかならないかぐらいだったのである。あらためて、よくぞここまでの仕事ができたものであると感嘆する。いや、若いからこそできたのか。
 因みに生年月日を記せば、
小川和佑・昭和五年(一九三〇)四月二九日
大野順一(純)・昭和五年九月三日
嶋岡晨・昭和七年(一九三二)三月八日

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2018年1月14日 (日)

三一書房版『戦後詩大系』全四巻を手に入れる

 伝説の書籍と言っていい三一書房版の『戦後詩大系』全四巻を揃いで手に入れた。しかも、総革張りの限定300部特装版である。それを破格の安値で手に入れた。いくらかというのは、もしかしたら売主が後悔するかもしれないのでここでは伏せるが、まあ、今まで長い間売れずにいたわけだから、安値でも売れた方がいいのかもしれないが。
 第一巻は持っていた。いつだったかは忘れたが、おそらく1990年前後に、滅多に行くことのない渋谷の古書センターで偶然見つけたのだ。結構な高値で買ったような記憶がある。5800円だったか3700円ぐらいだったか。ともかく、第一巻はどうしても手に入れたかった書籍である。
 それから28年、発行からは実に48年、今回、四巻揃いでそれよりはるかに安い金額(送料込みでも)だったので、古書店によっては一冊ずつ買えるところもあったのだが、四冊揃えで購入した。実は、説明書きに「特装版」とあったのだが、あまりにも安いので、これは勘違いではないのかと疑っていた。(ネット販売だが、写真はなし)。しかし並装版でも、普通に見れば上製本なので、それでも良いと思っていた。ところが、本当に特装版だったのである。

 編者は、嶋岡晨・大野順一・小川和佑の三人。三人とも大学の先輩である。
Ⅰ ア~オ:1970年09月30日発行(限定番号300部の内 第158番)
Ⅱ カース:1970年11月30日発行(同 第165番)
Ⅲ ス~ハ:1970年12月31日発行(同 第164番)
Ⅳ ハーワ:1971年02月15日発行(同 第168番)
 本体菊判、ワインレッド色総革張り、白色クロース装貼函入り。函も並装版とは異なる。小川和佑先生のお宅で見ていたものだ。各巻平均580頁。

 何よりも嬉しいのは、月報も揃っていることである。ほかに三一書房の新刊案内や読者アンケートのはがきまで付いている。ないのは、おそらく巻かれていたであろうパラフィン紙ぐらいである。
 とすると、つい先日手に入れた『“美しい村”を求めて 新・軽井沢文学散歩』や『文明開化の詩』などのように、結局のところ読者の手に渡らなかったか、あるいは買われたけど読まれた形跡のない、本としては悲しい末路のいわゆる新古本かというと、どうもそうではないようだ。ぱっと見たところ本に書き込みなどはないのだが、月報の一箇所に赤鉛筆で括弧印がついている。本も開かれた形跡がある。が、月報なども綺麗に揃っていて、誰かが大切に保管していた本だということがわかる。
 この大冊の『戦後詩大系』は、並装版でも各巻3,000円なのであるが、特装版は全巻揃いの予約販売のみで各巻8,000円、合計32,000円もするのである。内容を考えると、決して高くはないのだが、それにしてもこれは1970年、昭和45年のことなのである。当時相当高価であったLPレコードでも1,700円か1,800円ぐらいの頃である。
 おそらく、この特装版を買ったのは、とりもなおさずここに収録されている詩人たちであろう。一般読者が買うとは思えない。並装版だって、実のところ関係者と図書館ぐらいだけだったかもしれない。そもそも詩集なんかみんな持ち出しで出すものであるから、収録されているからといって著者には一冊も献呈されていないだろう。あるいは自分が載っている巻だけはさずがに献呈されたかもしれないが、むしろ特装版を四巻揃いで買ってくれということだろう。限定300部というのは、すなわち全収録詩人230名あまりというわけだろう。
 ということは、このたび私が手に入れた本も、ここに収録されている詩人のものだった可能性が大なのではないか。本を開けられた形跡はある。しかしこの綺麗な保存状態は、著者の一人だからではないのか。もしそうなら、この本を売ることはないだろう。しかし本人ではなく、遺族なら、知らずに(あるいは知っていても)古本屋に処分することもあるだろう。
 本の匂いがたまらなくいいのだ。もう泣けてくるほどだ。何かパンドラの匣を開けてしまったような気がする。(肝心の内容についてはまたのちほど)

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