2009年1月12日 (月)

短説:作品「猫の絨毯」(五十嵐正人)

   猫の絨毯
 
           
五十嵐 正人
 
 レインボーブリッジを下りて、夜の湾岸線
に。いつになく、心地よい走り。タイヤは路
面に無理なく吸いつき、小石一つの振動も伝
えてくる。
 二人が目指すのは、浦安ベイエリアの高級
ホテル。同じようにクリスマスを迎える車が
前後に群れをなしている。
「ねえ見て、東京湾も、夜はこんなに縞麗に
なるのね」
 助手席の彼女が、運転席の彼に身を寄せた。
オートマチックの左ハンドル。男の右手が女
を抱きとめる。と、一瞬体が揺れた。
「どうしたの?」
「いやっ、何でもない。猫を礫いただけさ」
「なーんだ」
 高速道路に猫。ちょっと変な感じはしたが、
間違いないだろう。あのボコッという感触。
「あれっ、まただ」
「寒くなると多いのよね。猫って、どうして
避けないのかしら」
 見ると、前方の車が凸凹道を走るように跳
ねている。
 ボコボコッ。
 二人の車も跳ねはじめた。路面を確認する
勇気はない。おそらくは、一面に敷きつめら
れた猫の絨毯。目にしなければ、それですむ。
息を殺して、走り抜けよう。
 ボコボコボコッ、ボコボコッ。
 女の視線が、追い越し車線のドライバーの
目にあった。困った顔同士、会釈を交わす。
 ボコッ、ボコボコボコッ。
 未開の平原を走るバッファローの群れのよ
うに、恋人たちもオアシスを夢見て走る。
 ボコッ。最後の一匹をプレスした音。
「ほらっ、シンデレラ城が見えてきた。明日
はスプラッシュマウンテンに乗りましょう」


〔発表:平成7(1995)年2月第12回東葛座会/初出:1995年5月号「短説」/WEB版初公開〕
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2008年9月27日 (土)

短説:作品「黒曲」(美野里亜子)

   黒 曲
 
           
美野里 亜子
 
「親方、借りていいすか」
 佐介は使いこまれて手になじみの良い曲尺
を持ち、親方亮吉の丸い背に声をかけた。
「まぁたおめぇは、人の道具で仕事すってか」
「なしてだが、わがんねぇけど、親方の借り
っと、按配いいんだやね」
「親方、オラの方さも貸してくんねぇが」
 今度は駒吉が墨壼を手に声をかける。
「おめぇら何持って仕事さ来てんだか。道具
は職人の命だべさ、んだけど良がったら使え
ばいいべさ。なんぼでもな」
 亮吉の道具箱は角がすり減って丸みをおび
黒光りしていた。手入れの行き届いた大工道
具がいつもきっちりと並べられている。やっ
と墨付けが許されるようになった駒吉もまだ
自分の墨壺を持っていない。玄能、鋸ぎり、
鉋、曲尺、のみ。仕事を覚えるたびに道具の
数が増え、やっと大工らしくなってきた駒吉
だった。
「だども、親方みでに道具持ちになんねぇど
いい仕事師になれねんだべな。駒兄ぃだって
だんだん持ってけんど、オラなんてまだ釘袋
だけだ。早く自分の曲尺持ちてぇな」
「持ったってやっと一本だけだべさ、オラも」
 駒吉は言いながら親方の腰の釘袋に目をや
った。亮吉の腰にはいつも一本の黒曲が差し
込まれている。何十年も使いこまれてほとん
どはげ落ち、角もすっかり丸くなっている。
肝心な目盛は大方消えて役立ちそうもない。
「数でねぇ……一本あればいい」
 亮吉は黒曲を手に胡座をかいた。
「自分に合ったの一本でな……。大工が目盛
の無い曲尺持ってだって仕方ねぇと思うんだ
べ。だどもやっと自分だけの目盛が読めるよ
うになったんだ。こいつのおかげでやっとな」
 黒曲はしっくりとごつい手になじんでいた。
 

*黒曲=くろがね(黒い曲尺) *曲尺=かねじゃく *玄能=げんのう *鉋=かんな
発表:平成5年(1993)3月第31回藤代日曜座会/初出:「短説」1993年5月号/初刊:年鑑短説集〈6〉『函中の函』1993年12月/*初刊稿は一行超越しているため、語句を二箇所削除し、句読点を三箇所付加しました。/〈短説の会〉公式サイトupload:2006.7.12〕
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2007年3月 3日 (土)

短説:作品「ピンク鼻」(錦織利仁)

   ピンク鼻
 
            
錦織 利仁
 
 懐中電灯を照らし、ふらふら出かけるのは
やらねばならない義務だから、守は、少し遅
れはしたが、牛舎に着いた。
 突然、産気づいたり、何かのトラブルに巻
き込まれている場合もあるが、この日は何事
もなかった。
 ほし草の上で、後足をパカパカさせている
子牛がいる。守はこの牛を、誕生のときから
見てきた。他の牛と違って、鼻の色がピンク
なのが特徴であった。ただそれだけで、他の
子牛とは別の感情で接していた。
 夜回りのたびに、ピンク鼻をかまった。そ
のうち、守をわかるようになった。
 残念なことに、ピンク鼻は雄であった。農
場では、雄は肉牛として、いずれ売られてい
く運命にあった。
 ピンク鼻は、子牛舎から、少し大きな雄牛
だけの雑舎に移された。
 守は、いつものように牛舎の掃除をしてい
た。ふんにまみれたほし草をかたづけ、新し
いほし草を敷く。突然、作業中の守の肩にの
しかかる牛がいた。ピンク鼻だった。
「このバカタレが」
 守は、げんこつで眉間をこづいた。
 近くにいた獣医さんが、たいそう驚いた。
「きみたちは、ホモだちだね」
 雌牛の種付けをするさい、牛の発情を見極
めるのに、牛が牛に背後から乗りかかるとい
うのが、一つの目安になる。多くは乗りかか
った牛、もしくは両方が発情している。
 すぐには、肉にされはしないだろうが、ピ
ンク鼻は、他の雄牛と一緒に業者に引き取ら
れていった。
 その日、蒔いておいたオクラの種が、プラ
ンターの中で、二つ、三つピンクの殼を破っ
て芽をふいているのを見つけた。

発表:平成7年(1995)6月東京座会/初出:「短説」1995年8月号/〈短説の会〉公式サイトupload:2006.6.18〕
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2006年9月 1日 (金)

短説:作品「秋霖」(喜多村蔦枝)

   秋 霖
 
           
喜多村 蔦枝
 
 むしゃくしゃした気持をしずめようと髪を
洗った。遠くでゴトゴト列車の音がする。
 まだおさまらない。外へ出た。空缶を蹴る。
インスタントコーヒーか。壁にぶつかって止
まる。また蹴る。エノコロ草が抱きとめた。
 踏切を渡ると一面の草っ原だった。牛の飼
料畑らしい。私を迫いかけて風が吹く。洗い
髪はまだ乾かない。
 畑に入って大の字になった。疲れが出た。
灰色の雲。目をつぶる。ザワワワ、ザワワワ
と草の音がする。それすら癩にさわる。
 車が止まった。パタンとドアを閉める音。
誰だろう。こちらへ歩いてくるようだ。
 起き上がった。と同時に義父の声がした。
「わあ、驚いた。死んどるかと思ったよ。あ
っはっは」
〈大きなお世話〉と思ったが、隣へ坐るよう
促がした。黙っていた。義父も何も言わない。
しばらく遠くを見つめていた。何気なく足下
を見た。赤トンボが死んでいた。
「空があやしくなった。降りそうだ。わしゃ、
帰るよ。あんたは……ちょっとばかり、濡れ
て帰るがいい。風邪をひかんようにな」
 図星だ。
 坐ったまま義父を見送った。背中が丸くな
っている。
 ひとつ屋根の下に住んでいれば、同じ釜の
飯を食えば、分かりあえるなんて嘘だ。
 夫は気がつかないだろう。分かろうと努力
する者だけが感じることが出来る。
 義父にはお見通しなんだ。
 そう思った途端にこみあげてきた。涙の雨
がおしよせてくる。
 分かってくれた男は老いぼれている。
 それがまた口惜しい。
 雨が静かに私の身体を濡らし始めた。

〔発表:平成6年(1994)12月第100回記念東京座会*「天」位選出作品/初出:「短説」1996年2月号/〈短説の会〉公式サイトupload:2005.5.21〕

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2006年5月17日 (水)

短説:作品「息子」(栗原道子)

   息 子
 
            
栗原 道子
 
「決めてきたよ」
 やっぱり、と春枝は思った。
「駅から徒歩六分、2K、家賃九万。格安物
件なんだって」
 先日、啓の部屋に住宅情報誌があった。バ
イト代を四十万円ためたとも話していた。
「上村君と一緒に住むから家賃は折半だけど。
いいかなあ?」
 家から通えるのに。今だって学費はかなり
家計を圧迫している。バイトで補わせるとし
ても寝具くらいは用意してやらねば……
「下宿するチャンスは今だけなんだよ」
 ん? でも一人っ子の啓が共同生活を体験
するのは悪いことではないだろう。
「父さんが承知したらね」と春枝は答えた。
 和雄が帰宅したのは十時を過ぎていた。
「明日は早いぞ」とゴルフバックを車に積み
込むと、浴室に直行した。啓は書類を抱えて
うろうろしている。賃貸契約の保証人になっ
てもらわなければならないのだ。
「先に寝るよ」と和雄。追いかける啓。
 二十分も経ったろうか。春枝は寝室を覗い
た。暗がりで啓が正座して首を垂れている。
「そんなことを急に言うな、だって。それっ
きりオヤジ寝たふりなんだ……」
 涙声になっていた。
 玄関扉が開閉する音を春枝は寝床で聞いた。
啓が自室に戻ったのはそのだいぶ後だった。
 朝の太陽を浴びて車が光っている。磨き上
げられ、タイヤの下には水が溜っていた。一
月の深夜、気温はマイナスに近かったろう。
 エンジンの音に、啓はとび起きた。
「お父さん、契約してもいい?」
「二十一歳の人間にダメだと言っても仕方な
いだろう」それだけ言うと、荒っぽい運転で
角を曲がって行ってしまった。

〔発表:平成7年(1995)4月上尾座会/初出:「短説」1995年6月号/WEB版初公開〕
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2005年12月30日 (金)

短説:作品「出口」(向山葉子)

   出 口
 
            
向山 葉子
 
 いつの間にか夜になっていた。車の振動に
身を任せながら外を見ると、空には満月。私
は一体どこに連れていかれるのだろう。
 発端は多分あの一言だ。それは、娘の幼稚
園の母親たちが定期的にもつ茶話会の席のこ
とだ。
「どうして町の外に行くことができないんで
しょうねえ?」
 なにげなく言ったのだったが、和やかだっ
た場が一瞬凍りついた。隣にいたしいちゃん
のママがぎこちない笑みを浮かべて言った。
「あなた、方向音痴だからよ」
 それを機にもう何もなかったようにまた穏
やかなティータイムは続いた。
 ああ、あの言葉は禁句だったのだ。この町
に来て七年。私は一度もうまく駅にたどりつ
けたことがなかったが、なぜなのか考え続け
るにはこの町はあたたかく、なだらかに時が
流れすぎるのだっだ。
 茶話会から二日ばかりたった頃、警官が訪
ねてきた。銃刀法違反の疑いがあるとのこと
で、任意同行を求められた。当然無実のはず
だった。取り調べの警官は、この町の人間と
おなじような親しげな微笑みを浮かべていた。
微笑みながら彼は言った。「あなたは確信犯
なので、このまま護送しなければならないの
です。ああ、娘さんと息子さんのことはご心
配なさらなくていいですよ。この町のみんな
で健やかに育てていきますから」
 車は、町を抜けてどんどん遠ざかっていく。
運転手は無言のまま任務を遂行する。後頭部
と肩しか見えない。少し長めの髪の男性。小
刻みに震える肩。その肩に見覚えがあるよう
な気がした。ずっと昔から知っている肩。誰
だったのかは思い出せないけれど、確かに知
っている背中なのだった。

〔発表:平成10(1995)年11月第21回東葛座会/初出:1996年2月号「短説」/再録:1996年7月「日&月」第2号/「西向の山」upload2002.5.25〕
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2005年9月 3日 (土)

短説:作品「犬と少年と郵便夫」(芦原修二)

   犬と少年と郵便夫
 
            
芦原 修二
 
「桜川もここいらまで来ると、ご覧のとおり
細い流れになります」という声で窓の外をみ
た。岸には柳と桜が植えられている。柳の淡
い緑と桜の花の色合いが、昔の襲にもこんな
取り合わせがあったのでは……と思わせた。
 バスはしばらく川に沿って走る。川岸はい
つかつめ草の原になっていた。その中で犬と
少年がじゃれあっている。衣服のはだけた少
年の腕やら腹を犬がなめまわす。
 ここは滝ノ瀬村。どこへいっても滝と瀬の
音が聞こえてくる。こういう所には、やはり
静かな電気エンジンのバスが似合いだ。
 一の谷養魚場で、鱒の定食を食べ、私たち
はふたたび桜川のほとりに出てきた。そこで
はまだ、犬と少年が遊びつづけていた。この
村では犬も少年も年をとらない。年をとるの
はバスの中にいる自分たちだけだ。
 桜川の源流にある鏡が池の底には、無数の
花びらが沈んでいた。そよという風もない。
波もない。ただ澄み切った水が、沈んだ桜の
花びらの上に載っている。鯉でもいるかとし
ばらく見守ったが、魚の姿はなかった。この
池では、魚よりむしろ、肩に羽を生やした幼
い男の子が、裸で泳いでいる方が好い。
 池を見ていると赤い自転車に乗った二人の
郵便夫が逆しまになって通り過ぎた。なんの
ことはない。水に映って見えたのだ。私たち
もバスに乗って出発する。黒森峠を過ぎると
眼下は一面の麦畑だ。ここでまた二人の郵便
夫に出あった。ゆっくり走る私たちのバスを
追い越して行く。大声で話しながら……。
「あの少年は、犬とつるんでいたナ」
「ああ。なにしろいまは春だもの」
 私たちの電気バスは音もなく黒森山の裾を
走る。赤い自転車の、若い二人の郵便夫は、
もう緑の麦畑を走っている。

〔発表:平成3(1991)年5月東京座会/初出:「短説」1991年6月号/ 初刊:年鑑短説集〈5〉『螺旋の町』1992年4月/〈短説の会〉公式サイトupload:2005.5.21〕

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2005年8月25日 (木)

短説:作品「お戒壇めぐり」(五十嵐まり子)

   お戒壇めぐり
 
          
五十嵐 まり子
 
 その入口は寺のきらびやかな祭壇のすぐ脇
にあった。小さな階段を十段程降りるとすで
にそこは真っ暗闇だった。菊代は壁伝いに手
探りで少しずつ足を運ぶ。首から下の何と頼
りないこと。思わず手や足に触ってみる。
「極楽のお錠前に触ってください」とどこか
らともなく男の声が聞こえる。手を泳がせる
と金属の短い棒のようなものに当たった。こ
れで極楽往生ができるという。ありがたいも
のだと思う。それにしてもこの闇は今まで経
験したことのないものだ。黄泉は闇から転じ
た言葉かもしれないと読んだことがあるが、
黄泉の国とはこんなに暗いのだろうか。死ぬ
のはいやだなと思った。
 
 菊代は布団に横になると思いっきり手足を
伸ばした。家に電話をして無事旅館に入った
ことを知らせたし、一緒に来るはずだった俳
句仲間の志津にも電話した。風邪は大したこ
とはないということで一安心。
 ところで、と菊代は考える。黄泉の国では
誰かに会えるのだろうか。この世での縁が続
いているとすれば、先に逝った二人の夫に会
えることになる。それは少し困るなと思う。
やはりどちらかにしたい。あの世は永遠だろ
うから、余り複雑でない方がいい。
 初めての結婚では戦死するまで過ごした満
州での五年間が楽しかった。二人だけだった
のでいろいろなところへ行った。二番目の結
婚では四人の子供ができた。なかなかの発展
家だったが、末が小学校一年の時に逝ってし
まった。いろいろ苦労したなと思う。
 本当はどちらに会いたいのだろうかと考え
ているうちに晩酌の一本がきいて眠くなって
しまった。その夜、菊代は二番目の夫の浮気
相手と掴み合いをしている夢を見た。

〔発表:平成4(1992)年12月第14回上尾座会/初出:「短説」1992年2月号/初刊:年鑑短説集〈6〉『函中の函』1993年12月/〈短説の会〉公式サイトupload:2005.5.12〕
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2005年8月 5日 (金)

短説:作品「あの日 あの曲」(西山正義)

   あの日 あの曲
 
            
西山 正義
 
 アーケード街を歩いていると、CDショッ
プから懐かしい曲が流れてきた。僕はふいを
衝かれ、次の瞬間足は完全に止まっていた。
こんな気持ちは何年振りだろう。僕の胸は締
めつけられ、涙まで出てきそうになった。
 あの日。あの夏の日。そう、すべてが輝い
ていた。最高の彼女と青い海。白い浜辺にビ
ーチ・パラソル。ホテルのベッドでやるシャ
ンパン。他には何もいらなかった。
 君はキャンパス中の憧れ、というか注目の
的だったんだよ。コンパニオンをやってたろ。
君の美女ぶりは学生離れしていたし、テレビ
に出ていたとかいろいろ噂が絶えなかった。
 僕がどうして君のハートを射止め、そして
別れてしまったのか、今ではもう思い出せな
い。でもその年の夏、僕らは大学三年生で、
ほとんど完璧な恋人同士だった。毎日のよう
に海に行っては、火照った身体を合わせて倦
むことがなかった。長い髪をなびかせて海辺
を走る姿は、そのまま化粧品かビールのCF
になりそうだった。大胆な水着、申し訳程度
に隠された白い領域は僕のものだった。僕は
少し赤く腫れたビキニのあとを撫ぜるのが好
きで、君はそのたびにくすぐったいと言いな
がら身をくねらせた。
 親父のセダンを拝借して、第三京浜や東金
道路を突っ走ったね。カーステレオからはい
つもこの曲が流れていた。憶えているだろ?
 あれから君はどうしたのだろう。結婚した
ろうか。子供がいたっておかしくない。僕は
……ご覧の通りさ。親父や兄貴たちの世代と
は違う生き方をしようと思ってきたけど、今
の若い奴らから見れば、みな一緒さ。
 本当に君は今どうしているのでしょう。今
も輝いていますか。もうすべては終わってし
まったことなのでしょうか。

〔発表:平成7(1995)年8月第18回東葛座会/初出:1995年11月号「短説」/再録:1995年12月23日「新いばらき」第14127号/再録:「西向の山」upload:2002.4.5〕
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2005年7月12日 (火)

短説:作品「迎え火」(佐々木美千代)

   迎え火
 
          
佐々木 美千代
 
 夕方から、雨が降った、浅間山の裾から雲
が押し寄せ、狭い谷に雷が鳴った。
 格子戸の門は、一枚岩のタタキから濡れ、
刻み目の入った縁石のほこりを洗い流した。
フミの家では、てんぷらをすっかり揚げ終え
てから、盆迎えの火をたく。
「ワラがぬれてしまったわね」
「いや、大丈夫だ。ちゃんとフタをしてしま
っておいた」
 庄助は、そう言って先に立った。
 先刻から露地を掃き清めていた孫の健が、
門の外で二人を待っていた。
「なかなかつかないわね」
「いや、空気を通せばよく燃える、ワラをタ
テに持つんだ」
「あっつつッウー」
 立てたワラを伝って燃え上がった火に指を
焼いたフミは、かがめていた体を一層深く前
に折った。
 庄助は、火をみつめている。
 日頃、酒をすごしては、フミにたしなめら
れている庄助は、心臓の発作を心配して、懐
にはいつも薬を忍ばせている。春には喜寿の
祝いをすませたばかりだ。庄助の父親の享年
は七十歳。庄助はその齢をとうに超えた。
 向いの家では残り火のまわりで、ネズミ花
火の音をさせている。
 健が、さっそく線香花火を出してきた。
「線香花火だけ。ごはんを食べてから、打ち
上げ花火をするもんね」
 と健は言う。
 例年どうり、井戸べりと厨の脇に線香をあ
げたがフミが、台所に戻ってきて夫を呼んだ。
「お父さん、てんぷらがまずくなりますよ」
 しかし、庄助は、ワラ束の根元でチロチロ
と燃える火をみつめたきり動かなかった。

〔発表:平成4(1992)年2月第18回藤代座会/初出:「短説」1992年9月号/初刊:年鑑短説集〈6〉『函中の函』1993年12月/〈短説の会〉公式サイトupload:2005.5.12〕
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