短説「お江戸の春」向山葉子
お江戸の春 〔発表:平成20(2008)年1月ML座会/(雑誌未発表)/初出:「西向の山」upload:2009.12.28〕 Copyright (C) 2008-2014 Mukouyama Yoko. All
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お江戸の春 〔発表:平成20(2008)年1月ML座会/(雑誌未発表)/初出:「西向の山」upload:2009.12.28〕 Copyright (C) 2008-2014 Mukouyama Yoko. All
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木枯らしの街 〔発表:平成19年(2007)1月関西座会(第5回短説お年玉文学賞受賞)/初出:「短説」2007年4月号/〈短説の会〉公式サイトupload:2011.1.2〕 Copyright (C) 2007-2011 INOUE Takashi. All
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鱧 〔発表:平成19年(2007)8月関西座会/初出:「短説」2007年11月号/WEB版初公開〕 Copyright (C) 2007-2011 HIWATASHI Masumi.
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悦 子 〔発表:平成18(2006)年2月第126回通信座会~3月ML座会/2006年5月号「短説」/WEB版初公開〕 Copyright (C) 2006-2010 NISHIYAMA Masayoshi.
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丸亀うどん店 〔発表・初出:平成20(2008)年5月号「短説」(巻頭招待席)/WEB版初公開(追悼)〕 Copyright (C) 2008-2009 AIOI Harumi. All
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赤とんぼ 道野 重信 雨が夕日を消したのだ。 だから雲が出てるのだ。 アミと虫カゴがぼくのタカラモノなのだ。 今日も赤とんぼをつかまえるのだ。 父ちゃんは焼酎を飲んで泣くのだ。 男は涙を見せてはいけないのだ。 それでも泣くほどつらいときは、子どもは 見ちゃいけないのだ。 だから、ぼくは出かけるのだ。 ぼくの家には傘がないのだ。 だから濡れても平気なのだ。 いつも赤とんぼが舞っている、坂の上のお 寺に行くのだ。 「ぼく、どうしたの?」 と、声がしたのだ。 ふりかえると、もも色の傘をさした女の人 が立っているのだ。 ぼくはどうもしていないので、なんて答え ていいかわからないのだ。 坂をかけあがって、お寺の土塀によじのぼ ったのだ。 そして、アミを旗のよつにふったのだ。 早くどっかに行ってほしいのだ。 あんたはぼくの母ちゃんじゃないのだ。 もも色の傘が遠ざかって行くのだ。 それで、ぼくはやっとアミをふるのをやめ るのだ。 今日も赤とんぼをつかまえるのだ。 ぼくは母ちゃんを待っているのではないの だ。 赤とんぼをさがしているのだ。 〔発表:平成18年(2006)3月通信座会/2006年5月号「短説」/再録:「短説」2007年6月号〈年鑑特集号〉*2006年の代表作「人」位選出作品/WEB版初公開〕 Copyright (C) 2006-2008 MICHINO Shigenobu.
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蚊 五十嵐 まり子 さっきから一匹の蚊が晴子の周りを飛び回 っている。掴まえようとしたが逃げられてし まった。台所から防虫スプレーを持って来て、 机の下へ一吹きした。趣味の刺繍の会の名簿 をパソコンで作って、明日持っていかなけれ ばならない。 五分ほどして目の前を蚊がふらふら飛んで いるのに気が付いた。思い切り手を叩いた。 掌につぶれた蚊と少しの血がついていた。晴 子はまだ血を吸われていない。誰の血だろう。 息子の部屋だったここは、パソコンを使うと きぐらいしか使わない。独立して五年も経っ ている息子の血であるはずがない。正月にし か来ないのだから。 パソコンの置いてある机は、息子の置いて いったものだ。机と並んで、壁には確かロー ドバイクと言っていたような気がするが、自 転車が立てかけてある。青と白と赤の派手な ヘルメットも、サドルに掛けられたままだ。 フランスで四千キロメートル前後の距離を白 転車で走り抜けるツール・ド・フランスを息 子と二人、夜遅くテレビでみたことがあった。 こんなスポーツがある事を初めて知った。ま た、電車で一時間はかかる高校までこの自転 車で登校したこともあった、タイヤはもうす っかり潰れている。 その隣にある本棚には、ほんお少しの本の ほかに、二着のウエットスーツがハンガーで 引っ掛けてある。まだ使えるのかどうか知ら ないが、何年もそこに下がっている。 一週間後の三連休に、今付き合っている女 性を連れて来るという。赴任先の博多で知り 合った人だということだ。結婚を考えている らしい。 晴子は掌の血に一瞬生々しいものを感じ、 急いで拭い取った。 〔発表:平成18年(2006)7月上尾座会/初出:「短説」2006年11月号/WEB版初公開〕 Copyright (C) 2006-2008 IGARASHI Mariko.
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引き舟 芦原 修二 記憶の中では、ここに川が流れていて、秋 には鮭が背鰭波を幾重にも残しながらのぼっ ていた。 「まあ、こういうことは毎度のことだが……」 と、少しは今度の旅にもなれてきた。 口伝では、徳川家康が「きぬ川に布も晒す や秋の雲」と吟じたあたりのはずだが、いま にもひからびそうな細い排水堀が流れている だけである。それよりもむかしなら、このあ たりまで向こう岸の人の姿も見分けられない ほど流れの幅が広かったはずだが。 「やれやれ、川をのぼるつもりできたが、こ れでは〝田のぼりさん〟だ」 と、自分の姿を振り返って見ると、事実自 分は三艘の空舟を引っ張って、仕付け前の田 んぼの中で西に向かって立っていた。 「やいやい、そこ行く旅ンひと。荷物をひき ずりどこさ行く」 土手の上にいたこども達が、声をそろえて はやしかけてきた。 「秋なら、ここらさシャケとりよ、春ならの ぼりの小鮎とり」 と、返事をしたが、わたしがしてきたこと のあかしは三筋の舟の引きずり跡になって、 東の地平までつづいているだけだ。 わたしは、いったい何をしているのやら。 これでは、このあたりの人に迷惑作りをして いるようなものだろう。 「やれやれ、これでは干上がった海を渡るガ リバーだな」 と、沈黙していたら、土手の子供たちは、 わたしをからかうのをやめて、西に向かって 歩き出した。その向っていく方角に夕焼け空 が広がりだした。 ここらにあったはずの湖も干上がっていて、 夕焼け空の地平に黒富士が見えている。 〔発表:平成18年(2006)5月東京座会/2006年7月号「短説」/再録:「短説」2007年6月号〈年鑑特集号〉自選集/WEB版初公開〕 Copyright (C) 2006-2008 ASHIHARA Shuji. All
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J196 向山 葉子 Jの196番。発売前々日の午前三時から 並んで、ようやく取れたチケットにはそう書 かれてあった。これを手に入れるには、相当 の努力と根性と忍耐が必要なのだ。中には、 二十年もこのチケットのために費やしている 人もいるほどだ。私などはまだ五年にもなら ないのだから、幸運な方である。 だが、チケットが取れたからといって、安 心してはいけない。まず体力をつける必要が あるのだ。どのくらい掘らなければならない のか、想像がつかないからだ。噂では。掘っ ても掘っても何も出てこないこともあるらし いが、文句をいうことはできない。チケット には、あらかじめそういうこともある、と断 り書きがしてあるからだ。 ダメだった場合には、また初めからチケッ トを取り直ししなければならない。どんなリ ピーターでも特権はないようだが、一説によ るとスタッフと知り合いになれば、優遇もあ るとか。密かに袖の下を渡す輩も少なくない という。もっとも、それは少しはお金に余裕 の出てきた熟年層に多いとも聞いた。 J196区画の番号を確かめて、丹念に掘 りはじめた。何度も掘り返されているはずな のに、案外土が固い。周りを見渡すと、様々 な年齢の女たちが熱心に掘っている。稀に男 も混じっている。私も黙々と堀り続けた。 隣から短い悲鳴にも似た歓喜の声が聞こえ た。私は穴から顔を出してみた。四十代後半 ほどの女性に手を引かれて、J195の少年 が穴から這いだしてきた。女たちの視線が集 中する。そして安堵のため息。少年は目を引 くほど美しくはなかった。しかし今後彼をど う磨いていくのかは彼女の腕にかかっている。 女たちは、また黙って土を掘り起こし続け ている。 〔発表:平成18年(2006)2月ML座会/初出:「短説」2006年5月号(短説逍遥62)/WEBサイト「西向の山」upload2007.1.5〕 Copyright (C) 2006-2008 MUKOUYAMA Yoko. All
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並木道 川嶋 杏子 プラタナスの葉が烈しく舞い落ちて来る。 東京を離れて、もう何世紀も経つ。 この並木道が好きだったので、バスに乗ら ず歩くことにしたのだが、枯れた大きな葉が 無数に降って来るのに当たると一寸痛い。 それにやはり迷ってしまったようだ。目的 の駅になかなか行きつけない。 「馬屋ならあいています。こちらへどうぞ」 来年小学校へ上がる孫は、宿屋の主人の役 だった。食事の前にお祈りをするこの保育園、 園児達が毎年クリスマス会に「聖劇」を演じ る。次の幕では小さなマリヤ様が「赤ん坊」 を抱いていた。 レミちゃんは踊りながら歌を歌う「星」の 役だった。会のあと彼女のおばあちゃんを探 した。ここで何度か出会っている。やはり催 しのある日に遠くからやって来る。 節分の時は「おじいちゃんおばあちゃんと 鬼の面を作ろう」という会だった。未熟児だ ったのでまだ小さいのだと、レミちゃんのお ばあちゃんは語った。 「レミちゃんすばらしかった。歌も上手で」 少し風の出た園庭で、私達は立話をした。 「もうお会いしないかもしれないけれど」 二人の祖母は、そして別れの挨拶をした。 プラタナスの葉があとからあとから散って 来る。それほど強風ではないが、もうすっか り枯れた葉は枝から離れるばかりになってい たのだろう。 駅舎が見えて来た。 何世紀も経っているわけではない。 わずか数十年のことだ。 都会には高いビルが幾つも建ち、道巾も広 くなり、並木に葉は繁り葉は落ちて行く。 〔発表:平成18年(2006)1月上尾座会/初出:「短説」2006年1月号/WEB版初公開〕 Copyright (C) 2006-2008 KAWASHIMA Kyoko.
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