2009年2月 2日 (月)

短説:作品「丸亀うどん店」(相生葉留実)

   丸亀うどん店
 
           
相生 葉留実
 
 暖簾を下げるために戸口に近づくと、客が
戸を開けた。女が入り、男がつづいた。
「はい、いらっしゃい、こちらへどうぞ」
 と奥の席に案内した。
 私はすぐに熱い茶を出す。女が一気に飲む。
「天麩羅うどん二つ」
「天麩羅二つ」奥にいる妻に声をかけた。
 調理場に入って、ガスをひねる。入り口の
戸が少し開いた。鳥打帽の男Kだ。妻にコン
ロの火を指さして戸ロヘいき、外へ出た。
「今入った客ね。女は、スパイだから気をつ
けろ。ほら、手帳を出している」
 Kはそれだけ言うと、くるりと背を向けて、
去った。
 調理場では、うどんがあつあつに仕上がっ
ている。海老天をのせて熱いだしをたっぷり
とかける。いつもならお盆に箸と、唐辛子を
添えるのだが、小瓶は棚においた。
「おまたせしました」
 客は余程腹が空いていたらしい、うどんを
口いっぱいにほうばる。
 見計らって、唐辛子の瓶を持っていく。
 丼鉢には海老天が残っている。東京もんは、
先に天麩羅を食べる。うどん好きの関西人は
矢も楯もたまらなくなって、うどんを先に平
らげる。
 お品書きを下げようとすると、
「あっ、見せてください」
「なにか注文でも」
「いえ、もうお腹一杯」
 手帳にメニューと値段を写している。
 支払いを済ませ立ち去った。
 すぐに製麺所へ電話をした。
「もしもしうどんを先に食べました」
 次は天麩羅屋に掛ける。
「もしもし、海老天を尻尾から食べました」


〔発表・初出:平成20(2008)年5月号「短説」(巻頭招待席)/WEB版初公開(追悼)〕
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2008年10月 7日 (火)

短説:作品「赤とんぼ」(道野重信)

   赤とんぼ
 
            
道野 重信
 
 雨が夕日を消したのだ。
 だから雲が出てるのだ。
 アミと虫カゴがぼくのタカラモノなのだ。
 今日も赤とんぼをつかまえるのだ。
 
 父ちゃんは焼酎を飲んで泣くのだ。
 男は涙を見せてはいけないのだ。
 それでも泣くほどつらいときは、子どもは
見ちゃいけないのだ。
 だから、ぼくは出かけるのだ。
 
 ぼくの家には傘がないのだ。
 だから濡れても平気なのだ。
 いつも赤とんぼが舞っている、坂の上のお
寺に行くのだ。
 
「ぼく、どうしたの?」
 と、声がしたのだ。
 ふりかえると、もも色の傘をさした女の人
が立っているのだ。
 ぼくはどうもしていないので、なんて答え
ていいかわからないのだ。
 坂をかけあがって、お寺の土塀によじのぼ
ったのだ。
 そして、アミを旗のよつにふったのだ。
 早くどっかに行ってほしいのだ。
 あんたはぼくの母ちゃんじゃないのだ。
 
 もも色の傘が遠ざかって行くのだ。
 それで、ぼくはやっとアミをふるのをやめ
るのだ。
 
 今日も赤とんぼをつかまえるのだ。
 ぼくは母ちゃんを待っているのではないの
だ。
 赤とんぼをさがしているのだ。

〔発表:平成18年(2006)3月通信座会/2006年5月号「短説」/再録:「短説」2007年6月号〈年鑑特集号〉*2006年の代表作「人」位選出作品/WEB版初公開〕
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2008年9月 8日 (月)

短説:作品「蚊」(五十嵐まり子)

   
 
          
五十嵐 まり子
 
 さっきから一匹の蚊が晴子の周りを飛び回
っている。掴まえようとしたが逃げられてし
まった。台所から防虫スプレーを持って来て、
机の下へ一吹きした。趣味の刺繍の会の名簿
をパソコンで作って、明日持っていかなけれ
ばならない。
 五分ほどして目の前を蚊がふらふら飛んで
いるのに気が付いた。思い切り手を叩いた。
掌につぶれた蚊と少しの血がついていた。晴
子はまだ血を吸われていない。誰の血だろう。
息子の部屋だったここは、パソコンを使うと
きぐらいしか使わない。独立して五年も経っ
ている息子の血であるはずがない。正月にし
か来ないのだから。
 パソコンの置いてある机は、息子の置いて
いったものだ。机と並んで、壁には確かロー
ドバイクと言っていたような気がするが、自
転車が立てかけてある。青と白と赤の派手な
ヘルメットも、サドルに掛けられたままだ。
フランスで四千キロメートル前後の距離を白
転車で走り抜けるツール・ド・フランスを息
子と二人、夜遅くテレビでみたことがあった。
こんなスポーツがある事を初めて知った。ま
た、電車で一時間はかかる高校までこの自転
車で登校したこともあった、タイヤはもうす
っかり潰れている。
 その隣にある本棚には、ほんお少しの本の
ほかに、二着のウエットスーツがハンガーで
引っ掛けてある。まだ使えるのかどうか知ら
ないが、何年もそこに下がっている。
 一週間後の三連休に、今付き合っている女
性を連れて来るという。赴任先の博多で知り
合った人だということだ。結婚を考えている
らしい。
 晴子は掌の血に一瞬生々しいものを感じ、
急いで拭い取った。

発表:平成18年(2006)7月上尾座会/初出:「短説」2006年11月号/WEB版初公開〕
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2008年7月10日 (木)

短説:作品「引き舟」(芦原修二)

   引き舟
 
            
芦原 修二
 
 記憶の中では、ここに川が流れていて、秋
には鮭が背鰭波を幾重にも残しながらのぼっ
ていた。
「まあ、こういうことは毎度のことだが……」
 と、少しは今度の旅にもなれてきた。
 口伝では、徳川家康が「きぬ川に布も晒す
や秋の雲」と吟じたあたりのはずだが、いま
にもひからびそうな細い排水堀が流れている
だけである。それよりもむかしなら、このあ
たりまで向こう岸の人の姿も見分けられない
ほど流れの幅が広かったはずだが。
「やれやれ、川をのぼるつもりできたが、こ
れでは〝田のぼりさん〟だ」
 と、自分の姿を振り返って見ると、事実自
分は三艘の空舟を引っ張って、仕付け前の田
んぼの中で西に向かって立っていた。
「やいやい、そこ行く旅ンひと。荷物をひき
ずりどこさ行く」
 土手の上にいたこども達が、声をそろえて
はやしかけてきた。
「秋なら、ここらさシャケとりよ、春ならの
ぼりの小鮎とり」
 と、返事をしたが、わたしがしてきたこと
のあかしは三筋の舟の引きずり跡になって、
東の地平までつづいているだけだ。
 わたしは、いったい何をしているのやら。
これでは、このあたりの人に迷惑作りをして
いるようなものだろう。
「やれやれ、これでは干上がった海を渡るガ
リバーだな」
 と、沈黙していたら、土手の子供たちは、
わたしをからかうのをやめて、西に向かって
歩き出した。その向っていく方角に夕焼け空
が広がりだした。
 ここらにあったはずの湖も干上がっていて、
夕焼け空の地平に黒富士が見えている。

〔発表:平成18年(2006)5月東京座会/2006年7月号「短説」/再録:「短説」2007年6月号〈年鑑特集号〉自選集/WEB版初公開〕
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2008年4月10日 (木)

短説:作品「J196」(向山葉子)

   J196
 
            
向山 葉子
 
 Jの196番。発売前々日の午前三時から
並んで、ようやく取れたチケットにはそう書
かれてあった。これを手に入れるには、相当
の努力と根性と忍耐が必要なのだ。中には、
二十年もこのチケットのために費やしている
人もいるほどだ。私などはまだ五年にもなら
ないのだから、幸運な方である。
 だが、チケットが取れたからといって、安
心してはいけない。まず体力をつける必要が
あるのだ。どのくらい掘らなければならない
のか、想像がつかないからだ。噂では。掘っ
ても掘っても何も出てこないこともあるらし
いが、文句をいうことはできない。チケット
には、あらかじめそういうこともある、と断
り書きがしてあるからだ。
 ダメだった場合には、また初めからチケッ
トを取り直ししなければならない。どんなリ
ピーターでも特権はないようだが、一説によ
るとスタッフと知り合いになれば、優遇もあ
るとか。密かに袖の下を渡す輩も少なくない
という。もっとも、それは少しはお金に余裕
の出てきた熟年層に多いとも聞いた。
 J196区画の番号を確かめて、丹念に掘
りはじめた。何度も掘り返されているはずな
のに、案外土が固い。周りを見渡すと、様々
な年齢の女たちが熱心に掘っている。稀に男
も混じっている。私も黙々と堀り続けた。
 隣から短い悲鳴にも似た歓喜の声が聞こえ
た。私は穴から顔を出してみた。四十代後半
ほどの女性に手を引かれて、J195の少年
が穴から這いだしてきた。女たちの視線が集
中する。そして安堵のため息。少年は目を引
くほど美しくはなかった。しかし今後彼をど
う磨いていくのかは彼女の腕にかかっている。
 女たちは、また黙って土を掘り起こし続け
ている。

発表:平成18年(2006)2月ML座会/初出:「短説」2006年5月号(短説逍遥62)/WEBサイト「西向の山」upload2007.1.5〕
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2008年3月27日 (木)

短説:作品「並木道」(川嶋杏子)

   並木道
 
            
川嶋 杏子
 
 プラタナスの葉が烈しく舞い落ちて来る。
東京を離れて、もう何世紀も経つ。
 この並木道が好きだったので、バスに乗ら
ず歩くことにしたのだが、枯れた大きな葉が
無数に降って来るのに当たると一寸痛い。
 それにやはり迷ってしまったようだ。目的
の駅になかなか行きつけない。
 
「馬屋ならあいています。こちらへどうぞ」
 来年小学校へ上がる孫は、宿屋の主人の役
だった。食事の前にお祈りをするこの保育園、
園児達が毎年クリスマス会に「聖劇」を演じ
る。次の幕では小さなマリヤ様が「赤ん坊」
を抱いていた。
 レミちゃんは踊りながら歌を歌う「星」の
役だった。会のあと彼女のおばあちゃんを探
した。ここで何度か出会っている。やはり催
しのある日に遠くからやって来る。
 節分の時は「おじいちゃんおばあちゃんと
鬼の面を作ろう」という会だった。未熟児だ
ったのでまだ小さいのだと、レミちゃんのお
ばあちゃんは語った。
「レミちゃんすばらしかった。歌も上手で」
 少し風の出た園庭で、私達は立話をした。
「もうお会いしないかもしれないけれど」
 二人の祖母は、そして別れの挨拶をした。
 
 プラタナスの葉があとからあとから散って
来る。それほど強風ではないが、もうすっか
り枯れた葉は枝から離れるばかりになってい
たのだろう。
 駅舎が見えて来た。
 何世紀も経っているわけではない。
 わずか数十年のことだ。
 都会には高いビルが幾つも建ち、道巾も広
くなり、並木に葉は繁り葉は落ちて行く。

〔発表:平成18年(2006)1月上尾座会/初出:「短説」2006年1月号/WEB版初公開〕
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2007年11月25日 (日)

短説:作品「海」(西山正義)

   
 
            
西山 正義
 
 おれは死にたいと思ったわけではない。し
かしそれは明らかに死への誘惑だった。海を
見ていた。いや、海を見ている自分を見てい
た。その海は、たとえば冬の日本海の荒海と
いったものではなかった。
 右手に江ノ島が見えていた。眼下には、砂
鉄を多く含んだ砂浜がなだらかに伸びていた。
初夏の湘南である。空はあくまでも晴れてい
た。平日の午後。幼児を遊ばせている母親た
ちのグループが一組いただけだった。サーフ
ィンのメッカであるが、ビッグ・ウェーブに
はほど遠く、波も穏やかだった。
 おれは独りでいたのではなかった。勤務先
の大学が主催する、ある公開講座のフィール
ドワークの付き添いでいたのだった。その講
座は、二人の教授が交互に全国の神社仏閣に
ついて講義するというものだが、実地見学会
があるのが売りであった。受講生はほとんど
が高齢者であるが、すでにみな顔見知りで、
暗い翳などどこにもなかった。
 その浜は、新田義貞の鎌倉攻めで有名で、
つまり稲村ヶ崎なのだが、現在では鎌倉海浜
公園として整備されている。広場には逗子開
成高校ボート部遭難事件の慰霊碑があった。
 おれが死に誘われたのは、しかしその時で
はない。それから一年もして、その時の情景
を思い浮かべた時だった。海に向かって佇ん
でいる自分。一行から離れ、一瞬独りになっ
たのは、いい構図の写真を撮ろうとしたため
で、特に意味のある行動ではなかった。
 おれは浜辺に立っていただけだ。なのに、
その自分を後ろから見たおれは、にわかに死
の予感に包まれた。それは、十五のころ夢見
た、甘美な死といったものではなかった。か
といって、恐れや戦きとしてのそれでもなか
った。ただ、海が広がっているだけだった。

〔発表:平成19年(2007)6~7月ML座会/2007年9月号「短説」/WEB版初公開〕
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2007年2月19日 (月)

短説:作品「江戸座会」(西山正義)

   江戸座会
 
             西山 正義
 
 短説の東京座会は、今月いつもの会場が都
合つかず、両国の江戸東京博物館で開催中の
『江戸城展』探題会として行なわれた。
 三々五々特別展を見学し、再び合流すると、
「さて、どうしましょう」と阿修羅さん。
「今日は東京大マラソンが開催されるという
ことで、常設展が入場無料になるみたいです
よ」と僕は言った。
「では、常設展にも行ってみますか」 
 ということで、僕らは六階に上がった。
 入ると、いつもの通り日本橋が出迎えてく
れた。しかし、半分も廻ると、さすがに疲れ
てきた。中村座を原寸大で再現した前には、
いくつも椅子が並んでいた。僕はそこに腰か
け今日の作品を読み始めた。するとほかの同
人も集まってきて、もうここで座会をしまし
ょうかという話になった。
 ここではさすがにまずいでしょうと誰かが
言うと、主宰者の阿修羅さんが、「ヤッ!」
と気合いをかけると、僕らはみな江戸時代の
装束をまとっていた。お武家さん風であった
り、町人風であったり、俳諧師風であったり、
農民風であったりまちまちであったが、僕ら
は江戸時代の棟割長屋を再現したジオラマの
中に入っていった。そこで、僕らはいつもの
ように座会を始めた。
「何これー、動いてる」とか、「ママ、これ
本物だよ」とか、「あら、お芝居しているわ」
とかいう外野の声には一切頓着せず、僕らは
当たり前のように座会を続けた。
 パソコンやワープロでプリントした紙が和
紙の巻紙になり、文字も毛筆の草書体になっ
ていたが、なぜかすらすら読めた。
 やがて人もまばらになり、警備員が「お芝
居お疲れ様」と行って通り過ぎ、しばらくす
ると照明も消えたが、僕らは座会を続けた。

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2006年12月18日 (月)

短説:作品「セカンド・ステップ」(舘岡有紀)

   セカンド・ステップ
 
            
舘岡 有紀
 
「お義父さんには困るわ!」
 会社から帰るなり、妻につめよられた。
「カイ君に、中国はニセモノ作りの名人だっ
て言ってるのよ」
「作らせているのはパパ達なんだって、海渡
に教えてやれよ」
「母親が中国人の子、幼稚園にいるのに」
 菜箸を握った妻に睨みつけられる。やれや
れ。ネクタイを差し出し、父の部屋へ行く。
 父は海渡とファミコンゲームをしていた。
終りそうもないので、台所へもどった。
「カイ君がグローバルな大人になるよう、海
渡って名前、二人で決めたじゃないのよ」
「すぐ忘れるさ、ニセモノなんて」
「そういう問題じゃない」
 父は町工場をやっていた。プラスチック製
品を成形するための金型を作っていた。とこ
ろが、中国に仕事を持っていかれて倒産。ち
ょうど定年の時期だったので、住居を兼ねて
いた工場はたたんでしまった。
「また魚かよ」
「二度手間なのに。魚の方が高いんだからね」
「海渡はなに食ったんだ?」
「ハンバーグ」
「俺もそれ」
「だめ、冷凍したから。カイ君のお弁当」
 食事の後、父の部屋まで行った。丸めた背
中をむけて座っている。NHKニュースがつ
いていた。海渡は妻と風呂に入ったらしい。
 ファミコンのコントローラーを、また撫で
ているのだと思った。プラスチック製のそれ
を検査するみたいに、節した指で触るのだ。
 父はTVを消す。まだ音が鳴っている。耳
慣れた音楽。四角く平たい箱を小脇にかかえ、
立ち上がった。最新型のノートパソコンだ。
「ちょっと出掛けてくる」

〔発表:平成18年(2006)4~5月東葛藤代合同座会~ML座会/初出:「短説」2006年6月号/WEB版初公開〕
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2006年10月28日 (土)

短説:作品「野田くん」(川上千十)

   野田くん
 
            
川上 千十
 
「彼女のことを思うと、ぼくは胸が苦しい」
 野田の告白を、吉岡はだらしないと思いな
がら聞いていた。
「しっかり受け止めてやりなよ」
 と励まし、コーヒーを飲んだ。
「彼女は大柄だから、ピタッと抱きとめられ
ないけどな」
「ふん、そうか」
 野田を見ると、惚れた弱みという顔をして
いる。どうも年上の未亡人に本気で参ってい
るようだ。
「彼女のことだが」
 と、にやっと笑いながら聞いた。
「三十八の独身か、我々より八つも上だよ」
「うん、旦那と死別して三年目だそうだ」
「同じ職場だよな」
 と言ったのは、彼女の人柄とか素行などよ
くわかる筈だから、悩んでいるより結婚した
らどうだ。と言いたかったが、彼の返事は妙
なのだ。
「ぼくは、彼女の考えがわからない」
「え、どうして?」
 すると、親友の君だから打ち明けるが、と
言うのである。
「この前、ホテルに誘われたときのことだ。
どこか話がおかしいんだ」
「何があったんだ」
「わたし、未亡人になって三年もひとり寝よ。
だから、その分あなたに可愛がってもらいた
いの、なんて言うんだ」
 野田は、なかば泣き顔になった。
「ほう、かわいいひとじゃないか。君もずい
ぶん惚れられたもんだな」
 と片目をつむると、野田が答えた。
「ぼくはね、近くにいてくれるだけでいいん
だよ」

〔発表:平成17年(2005)2月/18年(2006)1~2月ML座会(旧題「三年目の女」)/2006年4月号「短説」/WEB版初公開〕
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2006年9月24日 (日)

短説:作品「右手」(日向みなみ)

   右 手
 
           
日向 みなみ
 
 遼子は、声をかけるのを躊躇していた。
 ガス料金の集金にきたのだが、窓ガラスの
向こうに見える男女は、小さなこたつの一辺
に体を寄せて入っていた。仰向けに寝ている
男の右手が、隣に座る女の腰当たりに伸びて
いる。男はだいぶ高齢のように見え、女は五
十代半ばに見えた。
 女が遼子に気がつき、男に何か話し掛けて
いる。右手がこたつ布団の中に消えていった。
 女は、不自由な足を引きずり、窓を空けた。
「あのぅ、ガス代の集金に来ました」
 遼子が声をかけると、女は男の上半身を起
こし、窓側に向けた。白髪が寝癖で立ち上が
り、歯のない男がわめき始めた。
「金なんかないよ。今まで貯めた財産は、み
んな息子達にむしりとられた。事業の失敗や
女にだまされて、みんな俺が尻拭いしてやっ
たんだ」
「失礼ですが、そちらの方は奥様ですか?」
「違うよ。昔でいう女中さん。この人しか私
の面倒みてくれない。息子達が連れてきた女
は、私の言うことなんか聞きやしない」
 男は、興奮してよだれを垂らした。女は、
かっぽう着のポケットからタオルを出し、男
のあごをあげて拭いた。
「俺は、もう一切払わん。金は長男からもら
ってくれ。女のところに泊まって来るから、
あいつが帰ってくるのは明け方だ。あんた、
こんな年寄りの愚痴なんて聞いてもつまらな
いだろ。若い男なら話しは別だろうけど」
 男の視線が色目を帯びて、遼子に注がれる。
「日を改めて、また来ます」
 窓を閉めて会釈した。遼子は気になり、後
ろを振り返った。女は再び男を仰向けに寝か
せ、隣に座り体を寄せた。
 男の右手がかっぽう着の下へ消えていく。

〔発表:平成18年(2006)4月木座会(旧題「色情」)/初出:「短説」2006年6月号/WEB版初公開〕
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2006年8月 3日 (木)

短説:作品「スリッパ」(佐々木美千代)

   スリッパ
 
          
佐々木 美千代
 
 ドアをあけると、ゴミ袋が二つあった。に
おいがする。スリッパが二つ。ピンクとブル
ー。俊樹はスイッチを押し、照明をつけた。
テーブルには、昨日のビール缶と、マグカッ
プがあった。椅子にジャケットをかける。背
もたれの角に、肩山を合わせ形を整えた。襟
が毛羽立っている。電話がなる。
「ごめんなさい。今日は残業で、遅くなりそ
う。食事は?」
 まだ会社にいるエミに、夕食を済ませた旨
を伝え、コタツの電源を入れた。俊樹の選ん
だ円形のコタツに上掛けがみつからず、エミ
はテーブルクロスを代用した。淡いクリーム
色に花柄が散っている。窓辺のシクラメンが
五十度に傾いたままで、花をつけている。テ
レビをつけ、新聞を広げた。裏面の会社人間
のリラックス法に目がいく。エミは、連休を
ずらして旅行を計画しているらしい。房総や
伊豆のパンフレットが電話台の下にある。狛
犬のお守りをエミが置いた電話台に、新年に
買った招き猫を俊樹は置いてあった。カレン
ダーはスキー姿のキティー。
「あれを、毎月見るのか」
 俊樹の苦手なキティーが着物姿や、水着で
登場するのだ。とりあえず可愛いねと言って
おけば、エミは喜んでいる。二人の新生活を
慣れぬ土地ではじめたエミは、朝の出勤時間
を守るのが精一杯だ。俊樹も分担した家事を、
休日にまとめてかたずけていた。また電話だ。
「今から帰ります」
「おつかれさん。気を付けてね」
 俊樹は、だんだんエミの親の口調に似てき
た。風呂場に行く。ふたをあけると、浴槽の
残り水を流した。玄関の灯りをつける。ピン
クのスリッパの真ん中に三本の足指の形が残
っている。

〔発表:平成18年(2006)4月藤代座会/初出:「短説」2006年6月号/WEB版初公開〕
Copyright (C) 2006 SASAKI Michiyo. All rights reserved.

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2006年7月 5日 (水)

短説:作品「豚」(西山正義)

   
 
            
西山 正義
 
 私の目の先に雑木林があった。その林の手
前から三番目の木に、楕円形の白っぽい物が
ぶら下がっていた。近寄ってみると、それは
豚だった。
 東京のベッドタウン。南に団地、北に一戸
建ての住宅が広がっていた。そのあいだの直
線道路をはさんで、草野球のグラウンド二つ
分ぐらいの公園があった。
 私は営業で来ていた。初めての町である。
テーブル付きのベンチがあった。私はアタッ
シュケースを投げ出し、腰を下ろした。掌に
把手の跡がついていた。
 私は一服し、日が没する方に目を向けた。
そして立ち上がったのだった。
 豚が首吊りしている。
 私は面食らったが、たしかに豚である。し
かも、肉屋にぶら下がっているようなそれと
は、明らかに様子が違う。第一に、それは生
きていた。白くてきれいな豚である。
 どうもオスのようだ。まだ若そうだった。
目が合った。笑っているように見える。
「おい、君はこんな所で何をしてるんだい」
 私は揺すってみた。するとニヤッと歯茎を
出して、「お兄さんもやってみるかい」と言
った。言葉が通じるらしい。
 サッカーボールが飛んできた。若い母親が
駆けてきた。女の匂いが漂う。「ちょっとイ
ケテルんじゃない」と豚が片目をつむった。
「そんなことより、苦しくないかい」
「苦しくないよ」
 豚の首はどこなんだろうと思っていると、
「ここだよ」と教えてくれた。しかし前足は
短すぎて、どこを指したのかよく分からない。
 向こうの小径から犬を連れた婦人が来た。
私を胡散臭げに見やって、足早に通り過ぎて
行く。犬が吠えた。

〔発表:平成18年(2006)1月第123回通信座会 /第二稿:2006年2月ML座会/初出:2006年3月号「短説」(芦原修二「短説逍遥」60)/再録:2006年4月号「短説」/再録:「西向の山」upload:2006.7.5〕
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2006年4月 1日 (土)

小学生が書いた短説(短い物語)

   不吉な桜
 
       
西山 義人(小学六年生)
 
 桜の花びらがまた一枚舞い降りた。
 ふと、うしろを見るとカップルがわかれた。
 そう、この桜の花びらがおちると、カップ
ルがわかれる。
 不吉な桜である。
 だが、この花びらを三枚とると願いがかな
う、という伝説がある。
 それを使って、あいつと話すきかいを増や
そうとした。
 
 次の日、学校に行った。
 廊下を走った。
 そして六年プレイルームを通りかかった時、
偶然目にしたのは、あいつだった。
 耳をすますと、引越しの話だった。
 あいつは三日後引越すらしい。
 足どりが重くなった。
 
 三日後、あいつを乗せた車と引越しのトラ
ックが走り去った。
 その時、不吉な桜の花びらが目の前を通っ
た。
 それは、この初恋の終わりを、示している
のだろう。

〔執筆:平成18年(2006)4月1日・東北新幹線上りMAXやまびこ号車中にて(帰宅後補筆完成)/短説一歩手前〕
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