短説集2006〜2010

2014年5月25日 (日)

短説「お江戸の春」向山葉子

   お江戸の春

            
向山 葉子

 さてさて、帯留はどの色がよかろうか。そ
うさね、吾郎乃丞は紅梅が好みと聞く。まあ
私なんぞは目にも入らなかろうが、そこはそ
れ、心がけだね。ちっと若づくりだが、仕方
ない。お摩耶、あの、こないだ取り寄せたよ
そいき、あれをお貸しよ。何だいけちくさい
ね、いいじゃないかえ、お貸しったら。喜多
川座初顔見世、行かないのだろ。お待ちなの
は蔦屋の貸本、何だね、万丈目殿歌留多合戦、
早う読みたいとそればかり。春だというに、
つれないこと。
 そうそう、義之介は寒稽古、裸足で出かけ
て行ったとか。元気だけが取り柄さね。なに
昼餉を持たずに出たのかえ。では、届けてお
くれ、と婆やにな。ほんにあの子は、剣術、
剣術、そればかり。腕っぷしばかりで学門は
さっぱりさ。さて行く末は、武蔵か小次郎か。
はたまた一国一城お主様か。戦国の世でも、
あるまいに。春だというに、悩みは尽きぬよ。
 お父上はまた書院かえ。何やら書き物をし
ておいでだね。ああ、いいよ、用事があるわ
けじゃなし。お好きなだけお籠もりさせてお
あげ。時時にはお茶を入れ替えてさしあげる
んだよ。ちっとも御出世なさらないお方だが、
そりゃあ私の目算違い。責める筋合いもなか
ろうものさ。
 平穏無事にそこそこ暮らし向きが立ってい
きゃあ、それはそれでお幸せ。だがね、いつ
かは大きく御出世の、時期が来らんこともあ
る。春だからねえ。まだそのうちに、花爛満
に、咲こう時もないじゃなし。
 そうさ、私もな、ええ、まだまだこれから
ひと花咲かそうか。まだまだ春の心持ち。末
は井原か近松か。娘息子に越される前に、ず
ずいと花道渡ろうと。今日も喜多川座へと通
うわなあ。


〔発表:平成20(2008)年1月ML座会/(雑誌未発表)/初出:「西向の山」upload:2009.12.28〕
Copyright (C) 2008-2014 Mukouyama Yoko. All rights reserved.

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2011年12月12日 (月)

短説「木枯らしの街」井上たかし

   木枯らしの街

           
井上 たかし

 鏡の前に立ったN博士は、自分の姿が写っ
ていないことを確かめ満足気に大きく頷いた。
 手を伸ばし実験台の上にあるビーカーを取
り上げる。と、どうだろう、ビーカーが空中
に浮いたまま静止しているではないか。
 次の瞬間ポトリポトン、床に広がる黒いシ
ミ、博士の目からあふれた嬉し涙である。
(ああ、やっと成功した)寝食を忘れ重ねた
努力と歳月、透明になる薬がやっと完成した
のだった。(…そうだ、一刻も早く彼に知ら
せなくては)研究に没頭出来るようにと惜し
みない援助を続け、研究室まで提供してくれ
た友人K氏の許へと博士は急いだ。
 広々とした芝生、大きな噴水のある前庭を
横切り、K氏の住む豪邸を訪れる。いつもな
ら慇懃な態度で出迎える執事も、そ知らぬ顔
でメイド相手に下らぬ冗談を云い合っていた。
(ふふ、やはり見えぬらしい)苦笑を浮かべ
博土はK氏の部屋に入る。むっとする暖房、
ソファに寄り添う二人の男女、ねぱつく会話。
「どうだい、彼の研究の進み具合は、あれが
完成すれば、私はまたまた大儲け……」
「ええ、もうすぐらしいわ、そしたらねえー」
 甘い鼻声でK氏にしなだれかかっているの
は博土の若い妻S子ではないか、そこで博土
は全てが読めたのだ。(おのれ、よくも今ま
で騙し続けてくれたな)こぶしを固め妻の顔
を殴りつけたのだが手応えがない、つるんと
顔をひと撫でしただけのS子。ワイングラス
片手に「少し暑くない」眩きながらバルコニ
ーの扉を開ける。どっと吹き込む木枯らしに
舞い上がる博士(しまった、透明になると重
力も失われるのだった)中空高く吹き飛ばさ
れながら博士はわめく(許さぬぞ二人とも…)
 幼稚園帰り、幼い娘が母を見止げて囁いた。
「ママ、風さん今日は怒ってるみたいな音ね」


〔発表:平成19年(2007)1月関西座会(第5回短説お年玉文学賞受賞)/初出:「短説」2007年4月号/〈短説の会〉公式サイトupload:2011.1.2〕
Copyright (C) 2007-2011 INOUE Takashi. All rights reserved.

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年1月 7日 (金)

短説「鱧」樋渡ますみ

   

           
樋渡 ますみ

 絹子はん。烏丸の楠田はんから鱧やて魚茂
から届いたえ。いやぁ、ええ鱧やわ。夏は、
やっぱしこれやねぇ。生麩の炊いたん有るし、
はよ食べて宇治川の花火見に行きよし。雪江
はんかて千代子はんかて出かけたえ。
 へえ、おおきに。…けど、うちよろしおす。
うちほんまは花火きらいや。美しほど終うと
淋しなって一遍に辛気臭うなるよって。
 へえぇ。そないなもんかいな。そやお礼の
電話入れとき。ええ旦さんや、お金持で男前
で気配りがようて、あんたにぞっこんやし。
 …ぞっこんて、何え? 惚れてるって、何
え? 一昨日お座敷で楠田はん、奥様を空気
のよなもんやて。人さん空気無うたら生きら
れひん。いの一番の誉め言葉ぬけぬけと言わ
はって…。男はんは狡いわ。一番大切なんは
お蚕ぐるみにして、ちゃあんと仕舞うてはる
んや。さやから、祇王さんかて佛御前かて早
々に仏門に入りはってん。うちよりずっと若
うて色恋の果敢なさ悟りはって…。宇治川の
花火と一緒や。あほらし。
 絹子はん、あんたほんま鱧みたいやなぁ。
白うて美しいて美味しいて…。げど油断して
食べとったら小骨が喉に刺さってチクチクし
て敵んのや。…そやし、生きとう中はするり
と逃げていきよるしな。
 うふ。そうかも知れへん。おかあはん上手
い事言わほるわ。流石上七軒志づ乃の女将や。
梅肉作るん手ったお。ああ風鈴の音、ええね
え。ほんまに涼しなる様な気ィするもん。こ
の、気ィするいうのんが大切なんよ。ほんま
に涼しわけや無うても…騙し上手や。
 またそないな、どこぞのおじゅっさんよな
事言うて。仕様むないお人や。
 ほんまやのうても、ほんまやて気ィにさし
て欲して言うてるだけや。……女子やもん。


〔発表:平成19年(2007)8月関西座会/初出:「短説」2007年11月号/WEB版初公開〕
Copyright (C) 2007-2011 HIWATASHI Masumi. All rights reserved.

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2010年2月12日 (金)

短説「悦子」西山正義

   悦 子

            
西山 正義

 関東ローム層は霜柱が立ちやすい。
 悦子はその日取引先へ直行となり、いつも
より遅く家を出た。ちょうど小学生の登校時
刻で、悦子の前を後ろをランドセルが行く。
このあたりにはまだ近郊農家の畑が、住宅地
のあいだに点在している。
 今年の冬は冷え込みが厳しい。畑は一面、
霜柱であった。むかしの農道が駅への近道に
なっていた。そこは一部舗装されておらず、
垣根沿いには、やはり霜柱が立っていた。
 小学生がそれを踏んでゆく。わざと音を立
てて踏んでいるのである。
「楽しそう」
 悦子は、手袋に白い息を吐きかけながら、
そう呟いていた。
「私もしてみたい」
 いつもはよけて通っていたのに。しかし、
ハイヒールでは……。
 悦子は二十九歳になっていた。短大では珍
しい法律科を出、光学機器メーカーに入社し
た。最初は一般職であったが、企画能力を買
われ、総合職的な仕事にも就くようになった。
しかし、キャリアでもお茶汲みでもない中途
半端な立場で、あまり居心地がいいとはいえ
ない。OLとしては生真面目すぎるきらいが
あり、ガードが堅そうに見られた。
 日曜日。悦子は早く起きた。洗顔と歯磨き
だけで、すっぴんのまま外へ出た。ジーンズ
にスニーカーを履いていた。
 見事にせり上がった霜柱の断面が、朝日に
輝いていた。悦子は踏んだ。音を立てて。ゾ
クッとする。一歩二歩と歩く。足踏みしてみ
る。おもしろい。もう一度。靴が滑って、転
びそうになる。可笑しかった。声をあげて笑
った。いや、笑ったつもりであった。悦子は
天を振り仰いだ。冬の日が眩しかった。


〔発表:平成18(2006)年2月第126回通信座会~3月ML座会/2006年5月号「短説」/WEB版初公開〕
Copyright (C) 2006-2010 NISHIYAMA Masayoshi. All rights reserved.

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年2月 2日 (月)

短説:作品「丸亀うどん店」(相生葉留実)

   丸亀うどん店
 
           
相生 葉留実
 
 暖簾を下げるために戸口に近づくと、客が
戸を開けた。女が入り、男がつづいた。
「はい、いらっしゃい、こちらへどうぞ」
 と奥の席に案内した。
 私はすぐに熱い茶を出す。女が一気に飲む。
「天麩羅うどん二つ」
「天麩羅二つ」奥にいる妻に声をかけた。
 調理場に入って、ガスをひねる。入り口の
戸が少し開いた。鳥打帽の男Kだ。妻にコン
ロの火を指さして戸ロヘいき、外へ出た。
「今入った客ね。女は、スパイだから気をつ
けろ。ほら、手帳を出している」
 Kはそれだけ言うと、くるりと背を向けて、
去った。
 調理場では、うどんがあつあつに仕上がっ
ている。海老天をのせて熱いだしをたっぷり
とかける。いつもならお盆に箸と、唐辛子を
添えるのだが、小瓶は棚においた。
「おまたせしました」
 客は余程腹が空いていたらしい、うどんを
口いっぱいにほうばる。
 見計らって、唐辛子の瓶を持っていく。
 丼鉢には海老天が残っている。東京もんは、
先に天麩羅を食べる。うどん好きの関西人は
矢も楯もたまらなくなって、うどんを先に平
らげる。
 お品書きを下げようとすると、
「あっ、見せてください」
「なにか注文でも」
「いえ、もうお腹一杯」
 手帳にメニューと値段を写している。
 支払いを済ませ立ち去った。
 すぐに製麺所へ電話をした。
「もしもしうどんを先に食べました」
 次は天麩羅屋に掛ける。
「もしもし、海老天を尻尾から食べました」


〔発表・初出:平成20(2008)年5月号「短説」(巻頭招待席)/WEB版初公開(追悼)〕
Copyright (C) 2008-2009 AIOI Harumi. All rights reserved.

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年10月 7日 (火)

短説:作品「赤とんぼ」(道野重信)

   赤とんぼ
 
            
道野 重信
 
 雨が夕日を消したのだ。
 だから雲が出てるのだ。
 アミと虫カゴがぼくのタカラモノなのだ。
 今日も赤とんぼをつかまえるのだ。
 
 父ちゃんは焼酎を飲んで泣くのだ。
 男は涙を見せてはいけないのだ。
 それでも泣くほどつらいときは、子どもは
見ちゃいけないのだ。
 だから、ぼくは出かけるのだ。
 
 ぼくの家には傘がないのだ。
 だから濡れても平気なのだ。
 いつも赤とんぼが舞っている、坂の上のお
寺に行くのだ。
 
「ぼく、どうしたの?」
 と、声がしたのだ。
 ふりかえると、もも色の傘をさした女の人
が立っているのだ。
 ぼくはどうもしていないので、なんて答え
ていいかわからないのだ。
 坂をかけあがって、お寺の土塀によじのぼ
ったのだ。
 そして、アミを旗のよつにふったのだ。
 早くどっかに行ってほしいのだ。
 あんたはぼくの母ちゃんじゃないのだ。
 
 もも色の傘が遠ざかって行くのだ。
 それで、ぼくはやっとアミをふるのをやめ
るのだ。
 
 今日も赤とんぼをつかまえるのだ。
 ぼくは母ちゃんを待っているのではないの
だ。
 赤とんぼをさがしているのだ。

〔発表:平成18年(2006)3月通信座会/2006年5月号「短説」/再録:「短説」2007年6月号〈年鑑特集号〉*2006年の代表作「人」位選出作品/WEB版初公開〕
Copyright (C) 2006-2008 MICHINO Shigenobu. All rights reserved.

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年9月 8日 (月)

短説:作品「蚊」(五十嵐まり子)

   
 
          
五十嵐 まり子
 
 さっきから一匹の蚊が晴子の周りを飛び回
っている。掴まえようとしたが逃げられてし
まった。台所から防虫スプレーを持って来て、
机の下へ一吹きした。趣味の刺繍の会の名簿
をパソコンで作って、明日持っていかなけれ
ばならない。
 五分ほどして目の前を蚊がふらふら飛んで
いるのに気が付いた。思い切り手を叩いた。
掌につぶれた蚊と少しの血がついていた。晴
子はまだ血を吸われていない。誰の血だろう。
息子の部屋だったここは、パソコンを使うと
きぐらいしか使わない。独立して五年も経っ
ている息子の血であるはずがない。正月にし
か来ないのだから。
 パソコンの置いてある机は、息子の置いて
いったものだ。机と並んで、壁には確かロー
ドバイクと言っていたような気がするが、自
転車が立てかけてある。青と白と赤の派手な
ヘルメットも、サドルに掛けられたままだ。
フランスで四千キロメートル前後の距離を白
転車で走り抜けるツール・ド・フランスを息
子と二人、夜遅くテレビでみたことがあった。
こんなスポーツがある事を初めて知った。ま
た、電車で一時間はかかる高校までこの自転
車で登校したこともあった、タイヤはもうす
っかり潰れている。
 その隣にある本棚には、ほんお少しの本の
ほかに、二着のウエットスーツがハンガーで
引っ掛けてある。まだ使えるのかどうか知ら
ないが、何年もそこに下がっている。
 一週間後の三連休に、今付き合っている女
性を連れて来るという。赴任先の博多で知り
合った人だということだ。結婚を考えている
らしい。
 晴子は掌の血に一瞬生々しいものを感じ、
急いで拭い取った。

発表:平成18年(2006)7月上尾座会/初出:「短説」2006年11月号/WEB版初公開〕
Copyright (C) 2006-2008 IGARASHI Mariko. All rights reserved.

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年7月10日 (木)

短説:作品「引き舟」(芦原修二)

   引き舟
 
            
芦原 修二
 
 記憶の中では、ここに川が流れていて、秋
には鮭が背鰭波を幾重にも残しながらのぼっ
ていた。
「まあ、こういうことは毎度のことだが……」
 と、少しは今度の旅にもなれてきた。
 口伝では、徳川家康が「きぬ川に布も晒す
や秋の雲」と吟じたあたりのはずだが、いま
にもひからびそうな細い排水堀が流れている
だけである。それよりもむかしなら、このあ
たりまで向こう岸の人の姿も見分けられない
ほど流れの幅が広かったはずだが。
「やれやれ、川をのぼるつもりできたが、こ
れでは〝田のぼりさん〟だ」
 と、自分の姿を振り返って見ると、事実自
分は三艘の空舟を引っ張って、仕付け前の田
んぼの中で西に向かって立っていた。
「やいやい、そこ行く旅ンひと。荷物をひき
ずりどこさ行く」
 土手の上にいたこども達が、声をそろえて
はやしかけてきた。
「秋なら、ここらさシャケとりよ、春ならの
ぼりの小鮎とり」
 と、返事をしたが、わたしがしてきたこと
のあかしは三筋の舟の引きずり跡になって、
東の地平までつづいているだけだ。
 わたしは、いったい何をしているのやら。
これでは、このあたりの人に迷惑作りをして
いるようなものだろう。
「やれやれ、これでは干上がった海を渡るガ
リバーだな」
 と、沈黙していたら、土手の子供たちは、
わたしをからかうのをやめて、西に向かって
歩き出した。その向っていく方角に夕焼け空
が広がりだした。
 ここらにあったはずの湖も干上がっていて、
夕焼け空の地平に黒富士が見えている。

〔発表:平成18年(2006)5月東京座会/2006年7月号「短説」/再録:「短説」2007年6月号〈年鑑特集号〉自選集/WEB版初公開〕
Copyright (C) 2006-2008 ASHIHARA Shuji. All rights reserved.

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年4月10日 (木)

短説:作品「J196」(向山葉子)

   J196
 
            
向山 葉子
 
 Jの196番。発売前々日の午前三時から
並んで、ようやく取れたチケットにはそう書
かれてあった。これを手に入れるには、相当
の努力と根性と忍耐が必要なのだ。中には、
二十年もこのチケットのために費やしている
人もいるほどだ。私などはまだ五年にもなら
ないのだから、幸運な方である。
 だが、チケットが取れたからといって、安
心してはいけない。まず体力をつける必要が
あるのだ。どのくらい掘らなければならない
のか、想像がつかないからだ。噂では。掘っ
ても掘っても何も出てこないこともあるらし
いが、文句をいうことはできない。チケット
には、あらかじめそういうこともある、と断
り書きがしてあるからだ。
 ダメだった場合には、また初めからチケッ
トを取り直ししなければならない。どんなリ
ピーターでも特権はないようだが、一説によ
るとスタッフと知り合いになれば、優遇もあ
るとか。密かに袖の下を渡す輩も少なくない
という。もっとも、それは少しはお金に余裕
の出てきた熟年層に多いとも聞いた。
 J196区画の番号を確かめて、丹念に掘
りはじめた。何度も掘り返されているはずな
のに、案外土が固い。周りを見渡すと、様々
な年齢の女たちが熱心に掘っている。稀に男
も混じっている。私も黙々と堀り続けた。
 隣から短い悲鳴にも似た歓喜の声が聞こえ
た。私は穴から顔を出してみた。四十代後半
ほどの女性に手を引かれて、J195の少年
が穴から這いだしてきた。女たちの視線が集
中する。そして安堵のため息。少年は目を引
くほど美しくはなかった。しかし今後彼をど
う磨いていくのかは彼女の腕にかかっている。
 女たちは、また黙って土を掘り起こし続け
ている。

発表:平成18年(2006)2月ML座会/初出:「短説」2006年5月号(短説逍遥62)/WEBサイト「西向の山」upload2007.1.5〕
Copyright (C) 2006-2008 MUKOUYAMA Yoko. All rights reserved.

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年3月27日 (木)

短説:作品「並木道」(川嶋杏子)

   並木道
 
            
川嶋 杏子
 
 プラタナスの葉が烈しく舞い落ちて来る。
東京を離れて、もう何世紀も経つ。
 この並木道が好きだったので、バスに乗ら
ず歩くことにしたのだが、枯れた大きな葉が
無数に降って来るのに当たると一寸痛い。
 それにやはり迷ってしまったようだ。目的
の駅になかなか行きつけない。
 
「馬屋ならあいています。こちらへどうぞ」
 来年小学校へ上がる孫は、宿屋の主人の役
だった。食事の前にお祈りをするこの保育園、
園児達が毎年クリスマス会に「聖劇」を演じ
る。次の幕では小さなマリヤ様が「赤ん坊」
を抱いていた。
 レミちゃんは踊りながら歌を歌う「星」の
役だった。会のあと彼女のおばあちゃんを探
した。ここで何度か出会っている。やはり催
しのある日に遠くからやって来る。
 節分の時は「おじいちゃんおばあちゃんと
鬼の面を作ろう」という会だった。未熟児だ
ったのでまだ小さいのだと、レミちゃんのお
ばあちゃんは語った。
「レミちゃんすばらしかった。歌も上手で」
 少し風の出た園庭で、私達は立話をした。
「もうお会いしないかもしれないけれど」
 二人の祖母は、そして別れの挨拶をした。
 
 プラタナスの葉があとからあとから散って
来る。それほど強風ではないが、もうすっか
り枯れた葉は枝から離れるばかりになってい
たのだろう。
 駅舎が見えて来た。
 何世紀も経っているわけではない。
 わずか数十年のことだ。
 都会には高いビルが幾つも建ち、道巾も広
くなり、並木に葉は繁り葉は落ちて行く。

〔発表:平成18年(2006)1月上尾座会/初出:「短説」2006年1月号/WEB版初公開〕
Copyright (C) 2006-2008 KAWASHIMA Kyoko. All rights reserved.

| | コメント (0) | トラックバック (0)